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ナントの勅令 ナントのちょくれいÉdit de Nantes

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナントの勅令
ナントのちょくれい
Édit de Nantes

ナントの王令とも呼ばれる。 1598年4月 13日フランス王アンリ4世ナントで公布した勅令プロテスタント (ユグノー ) に対して条件付きながら信仰の自由を認め,ユグノー戦争を終結させる役割を果した。おもな条項として,ユグノーの礼拝式執行は既成事実化している場所では容認するが,パリ市内では禁止する。ユグノーに対し相続,大学入学,官吏就任などの権利を確認する。前年まで8年間にわたってユグノーが掌握してきた要塞は今後も安全地帯として保持することを許可する。カトリック,プロテスタント両教徒間の紛争を審理するために,カトリック 10名,ユグノー6名で構成される特別法廷をパリ高等法院内に,両教同数の特別法廷を3地方高等法院内に設置するなどのことを定めた。内容は信仰の自由からほど遠く,決定的にユグノーに不利であったが,カトリック勢力の不満ははなはだしく,高等法院が勅令の登録手続を拒否する態度に出たので,翌年2月アンリ4世はパリ高等法院に対し強硬措置をとらなければならなかった。ルーアン高等法院のごときは 1609年まで登録を遅らせていた。のち,宰相リシュリューは武力でユグノーの政治力を砕いて勅令中の安全地帯に関する条項を無効化し (アレー勅令,1629) ,ルイ 14世は全条項を廃止してユグノーの宗教的,市民的な自由を全面的に剥奪した (フォンテンブロー勅令,85) 。フランスのプロテスタントは一切の自由を奪われて多く国外に亡命した。

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百科事典マイペディアの解説

ナントの勅令【ナントのちょくれい】

ナントの王令

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大辞林 第三版の解説

ナントのちょくれい【ナントの勅令】

1598年、フランス王アンリ四世がナントで発した勅令。カルバン派プロテスタントであるユグノー教徒に対し、信仰の自由とカトリック教徒と同等の政治的権利を認めたもの。これによりユグノー戦争は終結した。ナントの王令。

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世界大百科事典内のナントの勅令の言及

【ナントの王令】より

…1598年4月13日,フランス国王アンリ4世がナントで発布した王令。〈ナントの勅令〉とも。アンリ4世は1589年登位の後もカトリック(旧教)勢力の根強い抵抗に直面したが,93年旧教に改宗してシャルトルで聖別式を行いパリに入城,以後旧教徒と新教徒の和解に努力を傾注した。…

※「ナントの勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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