ネブカドネザル二世(読み)ネブカドネザルにせい(英語表記)Nebuchadnezzar Ⅱ

精選版 日本国語大辞典 「ネブカドネザル二世」の意味・読み・例文・類語

ネブカドネザル‐にせい【ネブカドネザル二世】

  1. ( Nebuchadnezzar II ) カルデア王国新バビロニア)第二代の王(在位前六〇四‐前五六二)。アッシリアを滅ぼし、シリアパレスチナ征服ユダヤ人バビロン強制移住させ「バビロンの捕囚」とした。治世中新バビロニアの最盛期現出。前五六二年没。

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改訂新版 世界大百科事典 「ネブカドネザル二世」の意味・わかりやすい解説

ネブカドネザル[2世]
Nebuchadnezzar Ⅱ

新バビロニアの王。在位,前604-前562年。正しくはナブー・クドゥリ・ウスルNabū-kudurri-uṣur。父王ナボポラッサル晩年には皇太子としてバビロン軍を率い,たびたび遠征に出た。父王の後を継いで王となった後も,メディアとの同盟関係のおかげで東方の守りを心配することなく,ほぼ毎年シリア,パレスティナ方面に遠征を重ねた。その主たる目的はバビロン軍の力の示威と朝貢国からの貢物の取立てであった。43年に及ぶその治世の中で比較的知られているのは最初の10年ほどで,前604年のアシュケロンの破壊,前601年の対エジプト戦での敗北,前598年のエルサレム攻囲(このときユダ王エホヤキンほかを捕囚として連れ去り,代りにゼデキヤを王に据えた。《列王紀》下24:10~17)などが特に注目される。その後テュロスの攻囲,小アジアにおけるメディアとリュディアの国境争いの調停などあるが,とりわけ前586年のエルサレム破壊といわゆるバビロン捕囚を挙げなければならない(《列王紀》下25:1~22)。このような数次の遠征により得た財宝で諸神殿の再建,首都バビロンの建設,王宮の造営などを行った。こうして彼の治世は長いバビロンの歴史の中でも最も栄えた時期となり,その支配領域もメソポタミアを中心に東はアラプハ,西はガザ南東スーサ,南はペルシア湾上の島々にまで及んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネブカドネザル二世」の意味・わかりやすい解説

ネブカドネザル2世
ネブカドネザルにせい
Nebuchadnezzar II

[生]前630頃
[没]前562.8/9.
新バビロニア帝国の王 (在位前 605~562) 。バビロニア名ナブ=クドゥリ=ウスル。ナボポラッサルの子。前 607~606年皇太子としてアッシリア北部に遠征,前 606~605年エジプト軍に撃退されると,父王に代って軍の総帥となり,カルケミシュとハマトでネコ2世の率いるエジプト軍を撃破,シリアの大半を制圧した。前 605年8月に父王が没したあと3週間で政権を掌握,父の築いた王国を継承して即位。前 604年6~12月シリアとパレスチナに遠征し,ユダを属国とした。前 601~600年エジプトに大敗し,ユダをはじめ多くの属国を失ったが,態勢を立直し,前 599年 12月にはアラビア北西部を攻撃,前 597年3月には,エルサレムを攻略し,エホヤキン王をはじめ,ユダヤ人をバビロンに連行 (第1回バビロン捕囚 ) ,続いてシリア,東部バビロニアに転戦した。前 586年8月再びエルサレムを攻略し,第2回バビロニア捕囚をユダヤ人に強いている。その後も戦いを続け,前 568~567年にもエジプトに侵入を企てている。一貫してアッシリア帝国の領土拡大政策を踏襲し,後年ナポレオンに比せられた。バビロンの再建,拡充にも力を注ぎ,彼の建てたマルドゥク神殿,イシュタル門と行列道路,「バビロンの吊り庭園」と呼ばれる宮中庭園は有名である。ユダヤ人を苦しめたが,エレミヤを保護し,聖書では悪人を懲らしめる神の器とみなされている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ネブカドネザル二世」の解説

ネブカドネザル2世(ネブカドネザルにせい)
Nabû-kudurrī-uṣur[アッカド],Nebuchadnezzar[ヘブライ,英]

(在位前605~前562)

新バビロニア王国の第2代王。即位直前に皇太子として軍を率いてエジプト軍をカルケミシュで破り,即位後イェルサレムを攻略してユダ王国を滅ぼす(前587ないし前586年)など,新バビロニアのシリア・パレスチナ支配を決定づけた。首都バビロンをメソポタミア最大の壮麗な都市として再建し,新バビロニアに最盛期をもたらした。

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世界大百科事典(旧版)内のネブカドネザル二世の言及

【カルデア人】より

…カルデア人は軍事的には強くなかったが,ナツメヤシの生産やペルシア湾貿易のおかげで経済的には豊かであった。宿敵であったアッシリア帝国が滅びた後,カルデア人ナボポラッサルによって新バビロニア王国(カルデア王朝)が建てられ(前625),ネブカドネザル2世の治世に最も繁栄し,当時のバビロンは世界の七不思議の一つに数えられた。イスラエルの民のバビロン捕囚もこの王の治世中のことであった。…

【バビロン】より

…これはカルデア王朝とも呼ばれる。ネブカドネザル2世(在位,前604‐前562)は,各地に遠征し,反抗する都市は,例えばバビロン捕囚のような形で徹底的に抑圧し,また大規模な首都再建を実行した。1899‐1917年に行われたドイツ人コルデワイR.Koldeweyの発掘によって明らかにされ,よく復元図に示されているバビロンはこの時代のものである。…

【メソポタミア】より

…前8世紀ころからは,帝国に編入した諸民族を大規模に強制移住させる政策も定着している。アッシリア
[新バビロニア時代]
 カルデア(新バビロニア)朝ではナボポラッサルに次いでネブカドネザル2世が現れ,絶頂期を迎える。バビロンは空前の繁栄を遂げた。…

※「ネブカドネザル二世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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