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ハトラ Hatra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハトラ
Hatra

ドゥラとチグリス川の間にあった古代都市。現イラクのアルハドル。前1世紀頃パルティア帝国時代に円形の要塞都市として発展したが,240年頃ササン朝ペルシアのシャプール1世に征服され,廃虚と化した。現在イラク政府による発掘が行われている (→ハトラ遺跡 ) 。

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デジタル大辞泉の解説

ハトラ(Hatra)

イラク北部にある都市遺跡。セレウコス朝時代の紀元前3世紀頃に建設され、パルティア王国の支配下において軍事要塞および隊商都市として発展。古代ローマ帝国によるたびたびの侵攻を退けたが、3世紀にササン朝ペルシアによって征服されて滅びた。半径約1キロメートルの二重の城壁に囲まれ、中心部にはメソポタミアの太陽神シャマシュなどを祭る神殿が残る。1985年に世界遺産(文化遺産)に登録。2015年、ISIS(アイシス)の破壊活動により危機遺産に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

ハトラ

イラク北部,モースルの南西約100kmの地にあった古代都市。セレウコス朝時代から栄え,パルティア帝国治下では,初め商業都市,のちローマ軍に対する防衛都市として繁栄したが,243年ころササン朝によって破壊された。

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世界遺産詳解の解説

ハトラ

1985年に登録された世界遺産(文化遺産)で、イラク北部モスルの南南西約90kmに位置する古代都市遺跡。ハトラは紀元前3世紀頃から後3世紀まで、パルティア王国の自治領にあった重要な要塞都市で、ローマ帝国のたび重なる攻撃にさらされた。隊商都市として発展したが、ササン朝ペルシア(224~651年)に征服されて滅びた。円形城壁の四方には城門があり、二重の城壁の間には堀があった。町の中央の神殿地域には、アッラート女神や太陽神シャマシュの神殿などが残っている。人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして世界遺産に登録された。◇英名はHatra

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世界大百科事典 第2版の解説

ハトラ【Hatra】

イラク北部,モースルの南西約100kmの荒野に残る,パルティア時代からササン朝初期(1~3世紀)の,ほぼ楕円形(長径約2km)の隊商都市遺跡。現在の呼称はハドルAl‐Ḥaḍr。都市は切石の城壁・稜堡で防備され,堀がめぐらされている。東西南北に城門があり,市内中央部には聖域(465m×320m)があって,太陽神シャマシュの神殿など多数のイーワーン式建築が切石で構築され,神像や肖像が安置されている。聖域外にも小神殿が多数あるが,これらの建築はローマに由来する技術も用いている。

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世界大百科事典内のハトラの言及

【パルティア美術】より

…前者(前3世紀~前1世紀)はギリシア美術からの影響がきわめて強い。後者(1世紀~3世紀)ではギリシア的特色が後退し,それに代わってアケメネス朝,パルティアなどのイラン系民族や土着民族(例,エリュマイスElymais王国,隊商都市ハトラ)の趣向ないし美意識が顕著となっている。狭義のパルティア美術はこの後期のものを指すが,その本質は〈グレコ・イラン的〉,〈グレコ・オリエンタル〉などと規定されている。…

※「ハトラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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