イラク北部,モースルの南西約100kmの荒野に残る,パルティア時代からササン朝初期(1~3世紀)の,ほぼ楕円形(長径約2km)の隊商都市遺跡。現在の呼称はハドルal-Ḥaḍr。都市は切石の城壁・稜堡で防備され,堀がめぐらされている。東西南北に城門があり,市内中央部には聖域(465m×320m)があって,太陽神シャマシュの神殿など多数のイーワーン式建築が切石で構築され,神像や肖像が安置されている。聖域外にも小神殿が多数あるが,これらの建築はローマに由来する技術も用いている。一方,神像や肖像は丸彫で大理石,石灰岩,アラバスター,青銅などで制作されている。住民はアラブ系であったが,支配層はイラン(パルティア)系で,アラム文字を用いていた。彫刻はグレコ・ロマン風の写実主義的なものであるが,パルティア彫刻の特色たる厳格な正面観描写,硬直した姿態,細部(頭髪,ひげ,眼球,衣服などの文様)を詳細克明に再現する〈真実主義〉,線を重視する彫法を示す。とくに個性豊かな王侯肖像はパルティア系国王のフラバシfravaši(永遠不滅の人格=霊魂)を擬人化したもので,都市の守護神,人民の救済者像として礼拝された。ハトラは1~2世紀にはローマに敵対したが,アルサケス朝滅亡(224)後はローマと同盟して新興のササン朝と抗争したので,ローマ文化の影響も認められる(ローマ産大理石の軍人彫刻)。243年ころハトラはササン朝のシャープール1世によって攻略破壊された。
→パルティア美術
執筆者:田辺 勝美
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