バイデン(読み)ばいでん(英語表記)Joseph Robinette Biden,Jr.

日本大百科全書(ニッポニカ)「バイデン」の解説

バイデン
ばいでん
Joseph Robinette Biden,Jr.
(1942― )

アメリカ合衆国第46代大統領。ペンシルベニア州生まれ。1953年、父の仕事のため、デラウェア州に転居し、1965年デラウェア大学卒業、その後シラキュース大学法科大学院に進む。デラウェア州を長年拠点に活動し、弁護士や地方政治家を経て、1972年11月に29歳11か月の若さで連邦議会上院議員に当選。当選翌月、クリスマス用の買い物に出かけた妻が3人の子供とともに乗車中に交通事故にあい、妻と生後13か月の娘が死亡し、長男ボーBeau Bidenも次男ハンターHunter Bidenも重傷を負った。失意のなか、翌1973年1月、上院議員就任の宣誓式を実施した。就任時には30歳1か月であり、上院議員に就任できる最低の年齢の30歳に達していた。その後、2人の息子たちの面倒をみながら、デラウェア州の自宅からワシントンの連邦議会まで片道約2時間をかけ、アムトラック(電車)で通い続けた。1977年、ジルJill Jacobsと再婚したが、アムトラックでの移動は議員在職中ずっと続けた。

 上院議員は1973年から2009年まで36年務めた。中道・穏健派として知られ、司法委員長や外交委員長などの要職を歴任した。気さくな人柄もあって、立場が異なる議員とも話し合って、法案をまとめていく、調整役としての名声を高めていった。

 上院議員在職中の1988年と2008年の大統領選に挑戦した。しかし、いずれも支持が広がらず、民主党の予備選段階で撤退した。そのうち、2008年の場合、民主党予備選で争ったオバマが民主党の指名獲得を確実にした段階で副大統領候補に任命された。オバマとともに本選挙を戦い、同年11月に当選、さらに2012年には再選され、2期8年間、副大統領を務めた。

 オバマの後継として2016年の大統領選への出馬も期待されたが、長男ボーが脳腫瘍で2015年に死去したことや、2008年の民主党予備選で争い、第1期オバマ政権で国務長官だったヒラリー・クリントンに譲ることで不出馬を選んだ。満を持して出馬した2020年の民主党予備選では、序盤で苦戦したが、その後は優勢に立ち、ライバルだった左派のサンダースBernie Sanders(1941― )が撤退するなどして、民主党の指名獲得を確実にした。2020年11月の大統領選挙では、共和党候補のトランプを破り、2021年1月大統領に就任した。大統領就任時には78歳1か月と史上最高齢である。カトリック教徒の大統領としてはケネディに次いで2人目となる。

 副大統領には黒人、アジア系、女性として初となるハリスKamala Harris(1964― )が就任した。「史上もっとも多様な構成の任命をする」という選挙戦の公約通り、同性愛を公表しているブティジェッジPeter Buttigieg(1982― )のほか、閣僚やホワイトハウスの側近に女性、黒人、ヒスパニック、アジア系、先住民などの人種マイノリティを多数登用した。内政では、「よりよい形での立て直し(Build Back Better)」を掲げ、新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)対策、製造業の強化、クリーンエネルギー開発の促進、経済格差の是正を目ざしている。また、外交では、国際協調を重視し、トランプ政権時に傷ついたヨーロッパとの同盟関係をすばやく回復させ、世界各地で民主主義を支えるとしている。とくに気候変動対策や人権など、トランプ外交とは大きな違いをみせるとみられている。

 2021年1月の段階で、議長決裁票も含め、上院・下院ともに民主党が多数派を占めた。しかし近年、共和・民主両党の立ち位置が大きく離れる「政治的分極化political polarization」が進み、トランプ政権下でアメリカ社会の分断や亀裂が鮮明になったため、今後も大きな苦難が予想される。

 ただ、50年近く政治家としての修羅場を何度もかいくぐってきた経験がバイデンの強みであり、調整役として、不利な状況を打開できるか大きく注目されている。

[前嶋和弘 2021年2月17日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「バイデン」の解説

バイデン
Biden, Joe

[生]1942.11.20. ペンシルバニア,スクラントン
ジョー・バイデン。アメリカ合衆国の政治家。第46代大統領(在任 2021~ )。バラク・オバマ政権時の副大統領(第47代。在任 2009~17)。フルネーム Joseph Robinette Biden。ペンシルバニア州スクラントンとデラウエア州ニューカッスル郡で育ち,1965年デラウェア大学を卒業,1968年ニューヨーク州のシラキュース大学法科大学院で学位を取得。この間の 1966年にネイリア・ハンターと結婚し,その後 3人の子供をもうけた。デラウェア州に戻って弁護士となり,1970~72年にニューカッスル郡の郡議会議員を務めた。1972年,史上 5番目の若さとなる 29歳で連邦議会上院議員に当選。しかしその約 1ヵ月後,妻と幼い娘が交通事故で死亡,2人の息子も重傷を負った。一時,政治キャリアを継続することを断念したが,周囲の説得により 1973年に登院,その後,民主党のデラウェア州選出の上院議員として 6回の再選を果たした。1977年教師のジル・ジェーコブズと再婚,娘が生まれた。議員職の一方で,1991~2008年にワイドナー大学法科大学院のウィルミントン分校の非常勤教授として勤務した。上院議員としては外交問題,刑事司法,麻薬対策を中心に活動し,上院外交委員会の委員長を 2001~03年と 2007~09年の 2回,上院司法委員会委員長を 1987~95年にそれぞれ務めた。1990年代後半に勃発したコソボ紛争では積極的に発言し,コソボ住民を迫害するセルビア治安部隊への武力制裁を促した。2003~11年のイラク戦争では,イラク安定化と平和維持のために国土を民族や宗派で分割するイラク分割決議案を成立(法的拘束力はない)させた。また上院の国際麻薬取締委員会のメンバーとして麻薬問題担当長官(通称ドラッグツァー drug czer)の設置に尽力した。2009年1月,バイデンはオバマの大統領就任とともに第47代の副大統領となり,2013年のオバマ 2期目就任も順調に横すべりした。副大統領時代は,大統領への強力な助言者として重要な役割を果たし,特に 2013年の減税失効と財政歳出削減が同時に訪れる「財政の崖」問題回避に向けて,対立する野党共和党との間を仲介した。次期大統領との声も高まったが,2015年に長男を脳腫瘍で亡くしたバイデンは 2016年の大統領選挙に立候補せず,ヒラリー・クリントンへの支持を表明した。2019年4月には 2020年の大統領選挙に向けて出馬を表明,バーニー・サンダーズらと党の指名候補の座を激しく争うなか,共和党のドナルド・トランプ大統領がバイデンを追い落とすため,ウクライナ政府に対しバイデンの二男がかかわるウクライナ企業の不正調査を再三迫ったとされる「ウクライナ疑惑」が浮上,2019年末にトランプ自身が弾劾訴追されるという騒ぎに発展した。バイデンはアフリカ系の女性上院議員カマラ・ハリスを副大統領候補に選び, 2020年8月,民主党の大統領候補として正式に指名された。同年 11月3日の大統領選挙で,バイデンは現職のトランプを引き離し,当選に必要な過半数の選挙人(270人)を獲得した。著書に"Promise Me, Dad: A Year of Hope, Hardship, and Purpose"(2017)。2017年大統領自由勲章受章。

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