ドイツの哲学者で〈美学aesthetica〉なる語および学科の創始者。ライプニッツを継ぐC.ウォルフに学び,1740年以後死ぬまでフランクフルト・アン・デル・オーデル大学教授。カントが当時最大の形而上学者と敬重した人。だが学問史上最高の功績は美学の樹立にある。未完に終わったが2巻の《美学》(1750,1758)において,この新造語を〈感性的認識の学〉と定義し,上級認識たる悟性的認識を扱う論理学と,下級認識たる感性的認識を扱う美学とが認識論の2部門を構成するとして,哲学体系のうちに初めて美学を位置づけた。この美学の実質は感性論であり,ここでは美の問題はなお些少(さしよう)な一部をなすにすぎなかったが,後代の美や芸術の原理学たる美学の発展はここに始まったのである。主著にはほかに《形而上学》(1739),《自然法》(1765)などがある。
執筆者:細井 雄介
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ドイツのウォルフ学派の哲学者、美学者。ベルリンで生まれ、ハレで勉強し、1740年以降死ぬまでフランクフルト大学の教授であった。実践哲学と理論哲学に先だって認識学をたて、その認識学を感性的認識論としての美学と悟性的認識論としての論理学に分けた。彼は美学を低次の認識学としたにもかかわらず、感性的認識の独自な構造を示して、感性的現象を悟性的な根拠へさかのぼることを否定した。この点で哲学体系のなかに美学を位置づける重要な業績を残した。彼の『形而上(けいじじょう)学』(1739)を中心とする著作は、カントをはじめとしたドイツの思想界で大きな影響力をもった。
[佐藤和夫 2015年3月19日]
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… その美学が新たな自覚を得て体系的学問として成立したのは近代18世紀のことであった。ドイツのバウムガルテンは合理主義哲学の伝統をひく哲学者だが,彼は従来の哲学体系には下位の認識能力たる感性的認識(上位は理性的認識)についての考察が欠けていたとし,感覚,感性,感覚的知覚をあらわすギリシア語aisthēsisに由来するラテン語aesthetica(ドイツ語化すればÄsthetik)を〈感性的認識の学〉と規定した。ここに生じた形容詞ästhetisch(美的)とは感性による直感的感受の契機と精神による英知的透見の契機とを併せもつ概念であるが,この新概念の豊かさのもとに後輩カントは感覚的,生理的な快と異なる美の普遍妥当性を説き,ついでヘーゲルは壮大な芸術哲学を築いて,美学は美および芸術の原理学としての位置を確立した。…
…このグループには,ウォルフ哲学を比較的忠実に継承した弟子たちと,それからある程度独立した考えを提唱するにいたる人々とが区別される。前者に属するのは,ドイツの広範な読者層にウォルフ哲学を広げることに貢献したチューミヒLudwig Philipp Thümmig(1697‐1728),ビルフィンガーGeorg Bernhard Bilfinger(1693‐1750)やドイツ美学の創始者と目されるバウムガルテンおよびその弟子マイヤーGeorg Friedrich Meier(1718‐77)などであるが,とりわけバウムガルテンはウォルフによってほとんど扱われなかった美学の領域に関してウォルフの体系を補完した。後者に属する人々としてはライマールスHermann Samuel Reimarus(1694‐1768),M.メンデルスゾーン,J.H.ランバートなどが挙げられる。…
※「バウムガルテン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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