バナト(英語表記)Banat

改訂新版 世界大百科事典 「バナト」の意味・わかりやすい解説

バナト
Banat

東ヨーロッパの地域名。歴史的には北はムレシュ川,西はティサ川,南はドナウ川,東は西カルパチ山脈に囲まれた方形の地域を指し,現在はその大部分ルーマニア,一部がユーゴスラビアに属している。ルーマニア語ではバナトゥルBanatul,セルビア語ではバナートBanat,ハンガリー語ではバーナートBánátまたはバーンシャーグBánság。この地名は南スラブ語のバンban(〈主人〉〈支配者〉の意)に由来し,バンの支配領域を指していた。15世紀までハンガリー王国領だったが,モハーチの戦(1526)ののちオスマン帝国領となり,ティミショアラ・パシャリク(ハンガリー語ではテメシュバール・パシャリク)がつくられた。1718年パッサロビツ条約によってオーストリア領になると,南部国境を防衛する軍事境界地帯に一時編入されたが,のちこの地方はティミシュ・バナト(ハンガリー語ではテメシ・バーンシャーグ)として独自の行政単位をなすようになった。この地方はオスマン帝国の中欧侵略の時代には攻撃の主要ルートにあたり,また18世紀後半からオーストリアの反攻が開始されるとたびたび戦火に見舞われ,このため住民は離散し農業も衰退した。そこで18世紀以降オーストリアのウィーン政府は新たに獲得した領土への植民政策を行い,ルーマニア人,セルビア人,マジャール人スロバキア人,ブルガリア人のほかに多数のドイツ人(バナトのシュワーベン人とよばれる)を移住させ,種々の特権を与えて農業経営の向上に役立たせた。またこの地方は農耕に適するばかりでなく,地下資源鉄鉱石炭ボーキサイト等)にも恵まれているので,とくに金属工業(代表的なものにレシツァ製鉄所)を発達させ,都市にもドイツ的影響がみられた。1779年からハンガリー領,1867年からオーストリア・ハンガリー二重帝国領となったが,この間に経済の発展とともに社会問題,とくに民族問題が激しくなり,ルーマニア人やセルビア人の民族運動の重要な中心地の一つとなった。第1次世界大戦後のトリアノン条約,セーブル条約(ともに1920)によって,バナトの約3分の2はルーマニア領,残りはユーゴスラビア領に編入され,以後それぞれの統一国家に重要な産業地帯として組み入れられた。第2次世界大戦中はドイツに占領されたが,戦後パリ条約(1947)によって旧領土に復した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「バナト」の解説

バナト
Banat

ルーマニア北西部,セルビアのヴォイヴォディナ地方東部,ハンガリー南東部のセゲド周辺にまたがる地域。東はルーマニアのトランシルヴァニアワラキアに接し,西はティサ川,北はムレシュ川,南はドナウ川に囲まれている。中心都市はルーマニアのティミショアラ。15世紀までハンガリー王国領であったが,16世紀にオスマン帝国の支配を受けて,ティミショアラ・パシャリクが設置された。18世紀にハプスブルク帝国の支配下に置かれると,ティミショアラ・バナトとして行政区分された。オスマン帝国との国境に位置していたので,「軍政国境地帯」の一部に組み込まれてさまざまな民族が入植。第一次世界大戦後,3分の2がルーマニアに,3分の1がユーゴスラヴィア(セルビア)に,ごく一部がハンガリーに分断され,現在に至る。

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百科事典マイペディア 「バナト」の意味・わかりやすい解説

バナト

ルーマニア西部からセルビアのボイボディナ自治州の一部にかけての地方。歴史的には,北と南をムレシュ川とドナウ川,東と西をトランシルバニア山脈とティサ川に囲まれた地域をさす。西部は豊かな平野の農業地帯,東部は山地で,石炭,鉄鉱,マンガンなどを産し,冶金・機械工業などが行われる。中心地はティミショアラ。15世紀まではハンガリー王国領,1526年―1718年オスマン帝国領,第1次大戦まではオーストリア・ハンガリー領であったが,1920年ルーマニア領(一部はユーゴに分割)。19世紀の民族運動の中心地でもあった。

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