アメリカの詩人。10月30日、アイダホ州に生まれ、ペンシルベニア大学で、将来の詩人W・C・ウィリアムズやH・ドゥーリトルと交わった。ロマンス語および文学を学び、1909年イギリスに渡り、『ロマンスの精神』(1910)を著作。同地で先輩詩人イェーツと親交を結び、英詩や能についての興味を分かち合い、イェーツの序をつけた『日本の貴族演劇』(1916)を出版。またロンドンでT・E・ヒュームを中心とする若い詩人グループの会合に参加し、簡潔なイメージを重視するイマジズムの短詩運動を展開した。1912年、H・ドゥーリトル、オルディントンらと決めたイマジズム三原則は、「主観的と客観的とを問わず事物を直接に扱うこと、表現に寄与しないことばは絶対に避けること、そしてメトロノームのような定型律によらず自由な調べによって書くこと」であった。この原則にかなう詩を集めてアンソロジー『デ・ジマジスト』(1914)を刊行して、英米の詩壇に波紋を投じた。また、T・S・エリオットやジョイスら前衛詩人や作家の出版を助けた。しかし、しだいにイギリス文壇と相いれなくなり、詩集『ヒュー・セルウィン・モーバリ』(1920)を告別としてパリに渡り、1924年以降はイタリアに定住した。前から手がけていた長編詩『キャントーズ』の完成に集中し、『最初の30編草稿』(1930)、『11編の新詩編』(1934)を出した。オデュッセウスに倣って古今の社会を放浪するこの長編叙事詩は、現代社会に見失われた精神的支柱を求める政治詩であり、評論の『文化への手引き』(1938)とともに、鋭い文明批評になっている。第二次世界大戦中、ムッソリーニのファシスト政権を支持して、反米放送を行ったため、1945年に捕らえられ、ピサの米陸軍規律訓練所に監禁される。その間に、政治的夢想の挫折(ざせつ)と揺るがない信念を歌い上げた絶唱『ピサ詩編』(1948)が書かれ、ボーリンゲン賞を受賞。だが、彼自身の身柄はワシントンに護送され、精神障害と認められて13年間セント・エリザベス病院に軟禁される。その間に続編『鑿岩機(さくがんき)編』(1955)を刊行し、正しい社会の精神的基盤を歌い続ける。1958年にフロスト、T・S・エリオットらの助力で反逆罪の訴訟が却下され、イタリアに帰った。晩年には『玉座編』(1959)および『草稿と断編』(1970)が追加されて、現代詩で最大の長編詩を残して、1972年11月1日、ベネチアの病院で死んだ。
[新倉俊一]
『新倉俊一訳『エズラ・パウンド詩集』(1971・角川書店)』▽『E・パウンド著、沢崎順之助訳『詩学入門』(1979・冨山房)』▽『G・S・フレイザー著、佐藤幸雄訳『エズラ・パウンド』(1979・清水弘文堂)』
英米法学史上の巨匠ともいうべきアメリカの法律家。ネブラスカ州に生まれ、ハーバード大学を卒業した。弁護士、裁判官を経て、ネブラスカ大学で教鞭(きょうべん)をとったが、1906年、全米法律家協会の年次総会で行った「司法に対する民衆の不満」と題する演説が反響をよび一躍有名になった。その後、ノースウェスタン大学、シカゴ大学に招かれ、1910年には母校ハーバード大学の教授となり、1947年まで在職した。この間、1916年から1936年までの長期にわたって法学部長を務めた。また抜群の記憶力をもち、大陸法思想にも明るかったばかりでなく、周辺諸科学にも精通していた。プラグマティストとしてホームズの継承者とみなされている。彼の法学の方法は社会学的法学sociological jurisprudenceとよばれ、判決にあたって、政治的・社会的な影響を十分に考慮に入れる現代アメリカ法学の発展に大きく寄与した。著作はきわめて多いが、そのおもなものには『法哲学入門』(1922)、『法律史観』(1923)、『コモン・ローの精神』(1921)がある。
[堀部政男]
『細野武男訳『社会学的法学』(1957・法律文化社)』
アメリカの法学者。プラグマティズム哲学の影響を受け,法を社会技術としてとらえる法理論を提唱した。ハーバード大学に学び,弁護士実務に従事しつつネブラスカ,シカゴ大学等で教鞭をとり,1910年よりハーバード大学教授。法を目的のための手段とする視点から,法学はたんに条文や判例の研究だけでなく,社会に存在するさまざまな利益を認識し,それを一定の基準に基づいて取捨する社会工学social engineeringであるべきだとし,社会学的法学sociological jurisprudenceを提唱した。また,ヨーロッパの法学や法史についての該博な知識をもとに,法史を動態期と静態期の交替としてとらえる法史観を提唱,19世紀の静態期を経て,20世紀は法の動態期であるとした。これらの見地から,20世紀の新たな事態に適応するために伝統的法原則を再検討すべきだとした。〈法は安定的でなければならないが,しかし静止は不可能だ〉という基本思想のもとで,柔軟な法運用を主張したが,法的安定性を神話として否定するネオ・リアリズムの過激な実定法批判には批判的で,それを〈努力放棄の哲学〉と呼んでその主張者と論争した。日本にも広く紹介され,著書の邦訳も多い。著書は《法哲学入門》(1922),《コモン・ローの精神》など多数。
執筆者:長尾 龍一
アメリカの詩人。アイダホ州生れ。1908年にロンドンに渡り,先輩詩人のW.B.イェーツやT.E.ヒュームと交わり,英詩の変革を目ざしてイマジズムやボーティシズムの運動を起こした。しかしイギリスの文壇にいれられず,詩集《ヒュー・セルウィン・モーバリー》(1920)を残して同地を去った。パリ時代には,J.ジョイスの出版を助けたり,T.S.エリオットやヘミングウェーの作品を指導したが,24年以降はイタリアに移り,叙事詩《詩編The Cantos》(1930-69)の完成と,社会・経済問題に没頭した。第2次大戦中の反米ローマ放送のため,45年に逮捕されてピサに監禁されたのち,本国に送還されて〈精神異常〉のレッテルをはられ,13年間もワシントンのエリザベス病院に収容された。その間に《ピサ詩編》(1948)で初のボーリンゲン賞を受け,国内で物議をかもした。58年に釈放後はイタリアに帰り,87歳の誕生日の数日後にベネチアで世を去った。エリオットから〈われよりすぐれたる詩人〉と名づけられたパウンドの詩,とくに《詩編》は,難解で未完成のところもあるが,利子制度を文化の堕落の尺度としてみた一大叙事詩の意義を備えている。
執筆者:新倉 俊一
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…ニューイングランドの自然と,その自然に対峙する人間の姿を描いたフロストや,長編詩によって人間の激情を示すのを得意としたカリフォルニアのジェファーズも注目に値する。しかし20世紀アメリカ詩で最も注意すべき文学運動は,1910年代E.パウンドによって提唱されたイマジズムおよびボーティシズムの流れであろう。その主張は,描写を排除し,イメージ対イメージによる緊張関係から生じるエネルギーを重視せよ,ということであった。…
…イギリスの詩人T.S.エリオットの詩。1921年秋,神経の変調を治すため滞在していたローザンヌで書かれた初稿が,エズラ・パウンド(献辞の〈私にまさる工匠〉)の意見に従って,ほぼ半分の長さに縮められ,22年10月雑誌《クライティリオン》創刊号に発表。同年アメリカで,自注をつけて単行本として出版された。…
…《緑の兜》(1910)から《クールの白鳥》(1917)にいたる詩集は,愛,老年,死,詩の個人的主題を社会的・神話的主題と自在にからませて個性的な声調でうたう現代詩人の出現を示している。劇作家としても,秘書役のエズラ・パウンドが入手したフェノロサ訳の《能》に触発されて,《鷹の井戸》(1916初演)など4編の舞踊劇を連作,新たな展開を見せた。詩,音楽,舞踊が一体化した象徴的演劇への長年の夢が東洋古典劇のなかにみごとに実現されているのを知ったイェーツの驚きと喜びは大きかった(《鷹の井戸》は日本で新作能《鷹姫》として翻案・上演されている)。…
…1910年代,エズラ・パウンド主唱の下に起こった英米の自由詩運動。1909年3月,反ロマン主義の詩論家T.E.ヒュームは,〈詩人クラブ〉を脱会して,仲間の詩人たちと毎週,ロンドン市内のソーホー地区の安レストランに集まり,フランスの象徴詩や日本の俳句にヒントをえて,イメージを重んじた自由詩の実験を試みた。…
…その後,日本の神秘性や不可思議さにとらわれすぎているとしてローエルに反論した研究に,進化論の立場から近代日本の社会制度を解明しようとしたS.L.ギューリックの《日本人の進化》(1903)と,ローエルに〈承服しかねる〉ものを見いだした晩年のハーンの《神国日本》(1904)がある。また建築,芸術の分野における草分け的研究としては,日本の民家を詳しく紹介したE.S.モースの《日本のすまいとその周囲》(1886)や,E.F.フェノロサの遺作《東亜美術史綱》(1912)と,詩人E.パウンドが発表したフェノロサの漢詩と能楽の研究も重要である。 ボストン美術館東洋部部長を務めた岡倉天心,イェール大学の朝河貫一(1873‐1948),コロンビア大学の角田(つのだ)柳作(1877‐1964)など,アメリカにおける日本研究に尽力した日本人の役割も見逃してはならない。…
…1914年,P.W.ルイスを中心とする〈反逆芸術センター〉のグループによる〈ボーティシズム宣言〉が《ブラストBlast》誌に発表された。〈ボーティシズム〉の名称は詩人E.パウンドによる。運動参加者はルイス,パウンドのほか,画家のウォッズワースEdward Alexander Wadsworth(1889‐1949),ロバーツWilliam Roberts(1895‐1980),アトキンスンLaurence Atkinson(1873‐1931),彫刻家のJ.エプスタインらで,彼らは未来派の運動感,キュビスムの幾何学的造形に学ぶと同時に,前者の印象主義的性格,後者の古典主義志向を排し,抽象性の強い造形を開拓した。…
…この意味では,20世紀初頭のドイツにおいてE.エールリヒやH.カントロビチに代表される自由法論やさらにP.ヘックを主唱者とする利益法学なども〈社会学的法学〉に含まれる。これに対して,狭義の社会学的法学は19世紀末のアメリカにおけるプラグマティズムの哲学運動を背景とし,O.W.ホームズ,B.N.カードーゾーを先駆者としてR.パウンドによって理論的表現を与えられた法学的立場を指す。パウンドは法学の中心的概念として社会的必要・社会的利益を主張し,法学はこうした社会的必要と諸利益の調整のための技術であるとした。…
※「パウンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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