インドネシア,スマトラ島西海岸中部の港市。人口77万0451(2003)。インド洋に臨み,西スマトラ州都。パダン河口にあり,赤道に近く(南緯0°59′),高温多湿で年雨量は平均4000mmを超える。このためパダン川はしばしばはんらんするが,全体的には不健康地でない。北にバリサン山脈のメラピ,シンガランの火山を望み,マニンジャウ,シンカラなどの火山湖を控えて風景は美しい。スマトラで最も古く開けて伝統文化の中心であるミナンカバウ高原への入口にあたる。市の街路はフェニックス,タマリンド,チェマラの並木に覆われ,木造のゆったりした一般民家に接して植えられたサゴヤシが,広い葉で日陰をつくる。住民はミナンカバウ族が多く,パッサル・ジャワ(市場)はその中心のにぎやかな場所である。付近の農産物の集散が盛んで,道路がスマトラ各地に通ずる。国立アンダラス大学がある。南郊のテルクバユール(旧,エンマハーフェン)は良港で,付近の石炭,コーヒー,コプラを積み出す。
執筆者:別技 篤彦 ミナンカバウ文化の伝統的中心地である内陸高地に対し,当地は海岸沿いの新開拓地に属する港として,金やコショウの積出港であったが,17世紀前半まではすぐ北のパリアマンやティクに比べ二次的な港であった。これらの港を含む西スマトラ海岸地帯は,16世紀半ばより約1世紀にわたりスマトラ北西端のアチェに支配された。17世紀前半に西海岸支配をめぐるアチェ,オランダ,イギリスの確執が激化し,1660年代にオランダの勝利のうちに終わった。18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリスに一時占領されたこともあるが,17世紀後半以降,パダンは西スマトラにおけるオランダの商業活動の拠点として栄えた。19世紀前半のパドリ戦争への軍事介入後,オランダは西スマトラ全体に政治支配を確立し,やがてパダンはスマトラ西海岸州の州都となった。
執筆者:加藤 剛
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インドネシア、スマトラ島中部西海岸のインド洋に臨む港湾都市。中部スマトラ第一の都市で西スマトラ州の州都。人口47万7344(1990)、94万1136(2018推計)。赤道直下に近いため高温多湿、年降水量は4000ミリを超える。スマトラでもっとも古くから開けたパダン高原を後背地にもち、その交通の要衝となっている。空港もある。港からは、後背地で産出される米、ゴム、茶、タバコ、コプラや、近くのオムビリン炭田の石炭を積み出す。付近にはセメント工場がある。住民はミナンカバウ人を主とするが華僑(かきょう)の居住も多い。1663年オランダ東インド会社が貿易独占権を獲得、1680年に貿易所を設置した。その後一時、イギリス、フランスが支配したが、やがてオランダが長く支配するところとなった。
[別技篤彦]
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