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パルテノン パルテノン Parthenon

翻訳|Parthenon

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パルテノン
パルテノン
Parthenon

ギリシア,アテネのアクロポリスの丘に建つドーリス式神殿。前 479年にペルシア人が破壊した旧神殿の跡に,前 447~438年にフェイディアスを総監督に,当時の技術の粋を集めて造られた。ギリシア女神アテナに捧げられたもので古典期芸術の頂点を示す作品。

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デジタル大辞泉の解説

パルテノン(Parthenōn)

ギリシャ、アテネアクロポリスに建つ守護神アテナ‐パルテノスの神殿。前5世紀後半に造られ、古典期ギリシャ建築の極致を実現している。→ドリス式

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百科事典マイペディアの解説

パルテノン

古代ギリシアの女神アテナ・パルテノスをまつる神殿でアテネのアクロポリスの丘に建つ。イクティノスカリクラテスによって前447年着工,前438年に完成。基壇は,幅31m,奥行69m。
→関連項目アテナアポロン・エピクリオス神殿ペリクレス

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世界大百科事典 第2版の解説

パルテノン【Parthenōn】

アテネのアクロポリスに建つ,古代アテナイの守護神アテナ・パルテノスの神殿。パルテノンはアクロポリスの美化運動を推進した為政者ペリクレス,彫刻家フェイディアス,デロス同盟による豊かな財源,そしてペルシア人を打ち破った民衆の高揚した精神風土といった,好条件が重なり合って出現したもので,古代ギリシア文化の象徴的存在ともいえる。床面のわずかに盛り上がった湾曲,すべての柱の内部への傾斜など,視覚的な建築美も徹底的に追求されている。

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大辞林 第三版の解説

パルテノン【Parthenōn】

ギリシャのアテネのアクロポリスに建つ、古代アテネの主神アテナ=パルテノスの神殿。紀元前五世紀に造られ、ドリス式建築の代表例。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パルテノン
ぱるてのん
Parthenon

古代ギリシアの建築。アテネ(古代名アテナイ)のアクロポリスに建つ古典初期のもっとも優れた建築。対ペルシア戦争の勝利を感謝してアテネ市の守護女神アテネに捧(ささ)げた神殿。彫刻家フェイディアスの総監督のもとに設計はイクティノス、施工はカリクラテスが担当、紀元前447年に起工し、前438年ころ完成した。そのプランは、東西八柱、南北17柱、床面30.8メートル×69.5メートル、ドーリス式の周柱堂で、内部は東側にプロナオス(前室)と本尊を安置するナオス(内陣)、西側にオピストドモス(後室)とパルテノン(処女宮)の四室からなる。これらの内部の柱や梁(はり)は、外周の荘重なドーリス様式とは対照的に優美なイオニア様式を採用している。
 神殿を飾る彫刻では、フェイディアス作の黄金と象牙(ぞうげ)の巨像アテナ・パルテノス(処女のアテネ)像が本尊として内陣に安置されていたほか、東西両破風(はふ)の東側に「女神アテネの誕生」、西側に「アテネとポセイドンのアッティカの支配権争い」の大群像彫刻を配し、屋根の下の四方を飾る92面のメトープには神話上の四つの物語、さらに内陣上部のフリーズには汎(はん)アテナイア祭の大行列が全長約160メートルにわたって浮彫りにされている。これらはいずれも古典初期の傑作である。
 この建物はビザンティン時代の426年にハギア・ソフィア聖堂として内部が改修され、このとき本尊がコンスタンティノポリスに運ばれたとされる。トルコ占領時代(1458~1833)にはモスクに変えられ、1687年9月のベネチア軍の砲撃で、トルコ軍がここに収蔵していた火薬が爆発、フリーズの4分の3、28基の円柱などが崩壊した。今日、群像彫刻やメトープ、フリーズの浮彫りの大部分は、いわゆる「エルギン・マーブルズ」としてロンドンの大英博物館に、一部がアクロポリス美術館とパリのルーブル美術館にある。[前田正明]

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世界大百科事典内のパルテノンの言及

【アテナ】より

…これを見た神々は後者の方が住民に有益な贈物と判定し,アテナに軍配をあげたので,以後この町は彼女の庇護下におかれ,その名もアテナイと呼ばれるようになったと伝えられる。ギリシア各地のアテナ神殿のうちでも最も名高いのはアテナイのアクロポリス上のパルテノン〈処女神宮〉で,ここに名匠フェイディアス作の女神の金象牙像(模作が現存)が安置され,プロピュライア(アクロポリスの入口をなす前殿)には同じ作者のアテナ・プロマコス(〈護戦者〉の意)の巨像がそびえていた。また市民が彼女の祭儀として盛大に挙行したパンアテナイア祭の行列が同神殿のフリーズに浮彫にされ,いまも往時をしのばせている(一部は原位置,他はアクロポリス美術館および大英博物館所蔵)。…

【グリーク・リバイバル】より

…スチュアートJ.StuartとレベットN.Revettが現地調査にもとづいて1762年に出版した《アテネの古代遺物》が,この機運の出発点となった。この頃からギリシアを訪れる芸術家や知識人が相次ぎ,エルギン卿はアテネのパルテノン神殿の大理石彫刻をイギリスに持ち帰る(エルギン・マーブルズ)。それが1816年に政府に購入され,ギリシア芸術再発見の機運は頂点に達した。…

【比例】より

… 19世紀の建築理論家ビオレ・ル・デュクは,比例よりも尺度の重要性を説き,ある尺度に基づく基準格子(二等辺三角形)の使用を推奨している。一方,19世紀から20世紀初めにかけては,純粋な視覚上の問題として比例に関心が寄せられ,パルテノンなどの建築の美を,その比例やいわゆる視覚矯正などから解き明かそうとする試みが盛んとなり,その結果を制作にも反映させようとする動きがみられた。また近代の工業化は,尺度に対する新しい要求(モデュラー・コーディネーション)を提起しており,その手段としての〈モデュール〉設定が望まれるようになった。…

【フェイディアス】より

…アテナイ出身でカルミデスの子。アテナイのアクロポリスに立つパルテノンの本尊アテナ・パルテノスおよびオリュンピアのゼウス神殿の本尊ゼウス像の作者として,すでに古代において絶大な名声を博していた。両像とも高さ12mを超える黄金象牙像で,原作は失われているが,後代の大理石模刻像,あるいは貨幣,彫石gem,絵画に写された小像などから,その本来の姿をある程度復元することができる。…

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