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パルミュラ Palmyra

翻訳|Palmyra

大辞林 第三版の解説

パルミュラ【Palmyra】

シリアにある都市遺跡。一~三世紀頃、東西通商のオアシス都市として栄えた。古代ローマ建築に似た遺構が残る。パルミラ。

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百科事典マイペディアの解説

パルミュラ

シリア中部の古代都市。ローマの治下にあって広範な自治権をもち,前1世紀―後3世紀に隊商の根拠地として繁栄。一時シリア,メソポタミアを支配したが,ローマに反抗して,273年滅ぼされた。
→関連項目アウレリアヌス

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世界大百科事典 第2版の解説

パルミュラ【Palmyra】

シリアとバビロニアを結ぶ隊商路の中継地として,ローマ時代にとくに栄えた古代都市。遺跡はシリアダマスクスの北東約200kmに位置する。その起源は古く,聖書やアッシリアの記録ではタドモルTadmor,タドマルTadmarと呼ばれている。付近に豊かな硫黄鉱泉があり,シリア砂漠を横断する隊商路のオアシスとして集落が形成された。ヘレニズム時代まではシリア砂漠北方を迂回するルートが主要な隊商路であったが,セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの対立に続いて,前2~前1世紀にかけて東方のパルティアが勢力を拡大し,セレウコス朝シリアを圧倒してメソポタミアからシリアに進出した。

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世界大百科事典内のパルミュラの言及

【アウレリアヌス】より

…270年以後皇帝に推挙され,バンダル族やユトゥンギ族の攻勢を退けたが,その際,ローマ市の城壁を再建したことは名高い。さらに,女王ゼノビアの率いるパルミュラを破壊したことは彼の声望を高めた。彼は軍人皇帝時代の数十年に及ぶ混迷期にあって,帝国の統一に統治者としての才能を示したことで〈世界の再建者〉と呼ばれた。…

【アラブ】より

… 南アラブは前8世紀のころから一連の古代南アラビア王国を建設したが,その繁栄の基礎は灌漑農業と遠隔地通商にあり,のちのアラビア文字とは異なる独特の文字で記した多くの碑文を残している。北アラブはシリア砂漠を包む広い地域で遊牧生活を送り,ヘレニズム時代にはナバテア,パルミュラの両王国を建設し,ともにアラム文字で記した碑文を残している。4世紀に南アラブの国家と社会は崩壊し,南アラブの一部は遊牧民となって北方への移住を余儀なくされた。…

【シリア】より

…また,海面下の地溝では局地的に熱帯性気候が見られ,川沿いの緑と周囲の茶褐色の山肌とが著しい対照をつくり出す。その東側は遊牧民と隊商都市(パルミュラ,ダマスクス,ボストラ,ペトラ,ゲラサ)の世界であった。そこと海岸部,とくにフェニキアの海港都市とは,山間の道路網で結ばれていた。…

【パルティア美術】より

…狭義のパルティア美術はこの後期のものを指すが,その本質は〈グレコ・イラン的〉,〈グレコ・オリエンタル〉などと規定されている。パルティア美術は従来,ギリシア美術の堕落した形式とみなされていたが,シリアのドゥラ・ユーロポスパルミュラの発掘研究が進展した1930年以降は,別の価値観,イデオロギーに基づく独自の意義を持った美術として再評価されるに至った。 イラン系(後期)の美術は,ほぼ次のような特色を有する。…

※「パルミュラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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