ヒバ(英語表記)Khiva

  • Xiva

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウズベキスタン西部,ホレズム州の都市。州都ウルゲンチの南西約 30km,アムダリア下流部左岸にあり,パルバン運河に臨む。6~7世紀から存在していたが,記録に現れるのは 10世紀からで,17世紀初期ヒバ・ハン国の首都となった。 1873年ロシアの保護国となり,1920年にはこの地にホレズム人民共和国が成立し,ヒバがその首都となったが,1924年ウズベク共和国に編入され政治的重要性を失った。王宮モスクキャラバンサライ (隊商宿泊所) などが残る旧市街イチャンカラは,1990年世界遺産の文化遺産に登録された。中央アジアの諸都市のなかで,最も完全なかたちで古い町並みを残しているといわれ,観光産業の発展に力を注いでいる。繊維工業 (綿絨毯,縫製) がある。人口4万 1300 (1991推計) 。

アスナロ」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

ウズベキスタン西部、ホラズム州の都市。アムダリア川沿いに位置する。17世紀初頭にヒバハン国の首都となった。イチャンカラ(内城)と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街は、モスク霊廟(れいびょう)、神学校などの歴史的建造物が数多く現存し、1990年に世界遺産(文化遺産)に登録された。ヒワ

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百科事典マイペディアの解説

ウズベキスタンの都市。アム・ダリヤ下流部のホラズム・オアシス中にあり,ホラズム州の中心都市。綿花,煉瓦,じゅうたん,家具などを産する。10世紀のアラビア文献に名のみえる古都で,17世紀前半からウズベク人の国家,ヒバ・ハーン国(1512年―1920年)の主都として栄え,その遺跡はイチャン・カラ城として保存されている。城内には19世紀前半のイスラム的建築物が多い。1873年ロシアの属領となり,1920年ホラズム人民共和国の主都となったが,1924年ウズベク共和国に編入された。4万人(1991)。
→関連項目イチャン・カラ

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世界大百科事典 第2版の解説

中央アジア,ウズベキスタン共和国ホラズム州の中心都市の一つ。アム・ダリヤ下流左岸に位置し,人口4万1000(1991)。綿工業製陶が主産業である。町の起源は,発掘報告によれば,1世紀にまでさかのぼる。712年のアラブの征服以降イスラム化した。10世紀のアラブの地理学者によれば,古くはヒーワクKhīwaqあるいはハイワクKhaywaqと呼ばれた小さな町で,城壁に囲まれ,砂漠に臨んでいたが,アム・ダリヤからの大運河が通じ,広場や金曜モスクがあった。

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世界大百科事典内のヒバの言及

【ホラズム】より

…アラビア語ではフワーリズムKhwārizm。ヒバKhivaともいう。古来東西文化の要衝にあってイラン文化の一大中心地として栄えたが,8世紀初頭アラブに征服され,同世紀末ないし9世紀初頭にイスラムを受容,やがてイスラム文化の一中心地に成長し,フワーリズミー,ビールーニーなどの学匠を生んだ。…

【ホラズム】より

…アラビア語ではフワーリズムKhwārizm。ヒバKhivaともいう。古来東西文化の要衝にあってイラン文化の一大中心地として栄えたが,8世紀初頭アラブに征服され,同世紀末ないし9世紀初頭にイスラムを受容,やがてイスラム文化の一中心地に成長し,フワーリズミー,ビールーニーなどの学匠を生んだ。…

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