デジタル大辞泉
「ヒラリー」の意味・読み・例文・類語
ヒラリー(Edmund Percival Hillary)
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ヒラリー
- ( Edmund Percival Hillary エドモンド=パーシバル━ ) ニュージーランドの登山家。一九五三年、イギリスの第七次エベレスト登山隊に参加。シェルパのテンジンとともに初登頂に成功、サーの称号を受ける。(一九一九‐)
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ヒラリー
ひらりー
Sir Edmund Percival Hillary
(1919―2008)
ニュージーランドの登山家。エベレスト初登頂者、オークランド生まれの養蜂(ようほう)家。第二次世界大戦後ニュージーランドの山からアルプス、ヒマラヤの山々で登山活動を行い、1953年イギリスの第七次エベレスト登山隊に参加、5月29日シェルパのテンジンとともに初登頂を果たし、サーの称号を受けた。1956~57年南極横断、60~61年ヒマラヤ学術調査などを行った。1963年からネパールで道路・学校建設など住民のための活動を行った。著書に『わがエベレスト』High Adventure、『雲の中の9か月』High in the Thin Cold Airなど。
[徳久球雄]
『吉沢一郎訳『ヒラリー自伝』(1977・草思社)』
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ヒラリー
Hillary,Sir Edmund
[生]1919.7.20. オークランド
[没]2008.1.11. オークランド
ニュージーランドの登山家。フルネーム Edmund Percival Hillary。 1953年5月 29日,テンジン・ノルゲイとともにエベレストに初登頂し,はえある世界最高峰登頂者としてイギリス女王からサーの称号を授与された。イギリス隊に加わったのは,故国ニュージーランドのアルプスで培った氷雪登攀技術が当時のイギリス登山家に欠けていた能力を補完するものと評価されたためである。以後もマカルー (8463m) 登山や南極大陸横断 (1958) など登山・探検分野で活躍する一方,ネパール北東部のソロ・クーンブ地方に住むシェルパ族の福祉向上に意を注ぎ,広く基金を募って学校や病院を建設した。また,インド駐在高等弁務官を務めるなど政界でも活躍し,HET(Himalayan Environmental Trust)を主宰した。主著に"High Adventure"(1955)。
ヒラリー
Hillery, Patrick J.
[生]1923.5.2. ミルタウンマルベイ
[没]2008.4.12. ダブリン
アイルランドの医師,政治家。フルネーム Patric John Hillery。アイルランド国立大学ダブリン校で科学と医学を学び,医師となった。1951年共和党から下院議員に当選。1959~65年教育大臣,1965~66年通産大臣,1966~69年労働大臣,1969~72年外務大臣。1973~76年ヨーロッパ共同体 EC副委員長。1976年大統領に無投票で選出され,1983年任期満了に伴い退任の意思を表明したが 3政党すべてから翻意をうながされ,1990年まで務めた。大統領を引退するとともに政界から身を引いた。
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ヒラリー
米国の政治家。イリノイ州シカゴ出身。2009年1月発足したオバマ政権でオバマ大統領から国務長官に指名され就任(67代)。2013年1月国務長官を退いた。夫は42代大統領ビル・クリントン。2008年の大統領選挙民主党予備選でオバマと接戦を演じたが惜敗した。東部の名門女子大ウェルズリー大学,イェール大学ロー・スクールを卒業して弁護士となる。1960年代のベトナム反戦,女性の自立を主張するフェミニズム世代で,早くから米国初の女性大統領候補に目されていた。2000年ニューヨーク州選出上院議員となる。政治姿勢は一貫してリベラル派で女性層や都市部の非白人層に強い支持があったが,2008年の予備選では保守層を意識した姿勢に修正し,従来の支持層がオバマに流れる一因となったと言われる。国務長官任期の終盤から支持率が上昇,民主党支持層からオバマ大統領後の大統領候補として期待が高まっていた。2016年の大統領選への立候補を,2015年4月,正式に表明した。
ヒラリー
ニュージーランドの登山家。養蜂を業とする。1953年ハントを隊長とする英国の第9次エベレスト遠征隊に加わり,5月29日シェルパのテンジンとエベレスト初登頂に成功。1958年には,初の南極大陸横断をめざすフックスを隊長とする英国隊を援助するため,スコット基地から陸路南極点に達した。著書に《ハイ・アドベンチャー》など。
→関連項目アルパイン・クラブ|登山
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ヒラリー
Edmund Percival Hillary
生没年:1919-2008
ニュージーランドの登山家。オークランドに生まれ,養蜂業を営む。第2次大戦中より登山を行い,戦後ヨーロッパ,ヒマラヤで活躍し,1953年イギリスのエベレスト隊に参加。テンジンとともに初登頂者となり,サーの称号を授与された。その後,南極大陸横断やヒマラヤ科学調査隊長となり,63年からネパールで学校建設などに従事する。著書に《ハイ・アドベンチャー》(邦訳名《わがエベレスト》)などがある。
執筆者:徳久 球雄
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世界大百科事典(旧版)内のヒラリーの言及
【エベレスト[山]】より
…南面の登山ルートである。エバンズ,[ヒラリー]らのメンバーを中心に順調に高所キャンプが進められ,第1次アタック隊のエバンズらを引き継いだ第2次アタック隊のヒラリーと[テンジン]が,5月29日午前11時15分頂上に立ち,人類多年の夢を実現した。70年春,日本隊(松方三郎ら)も登頂に成功,75年には田部井淳子ら日本女子隊も登頂を果たした。…
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