養蜂(読み)ヨウホウ(その他表記)beekeeping

翻訳|beekeeping

デジタル大辞泉 「養蜂」の意味・読み・例文・類語

よう‐ほう〔ヤウ‐〕【養蜂】

蜂蜜はちみつ蜜蝋みつろうを採取するために、ミツバチを飼育すること。
[類語]養殖養魚養蚕養鶏養豚養虎養鶉ようじゅん養鱒養鰻養鯉

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精選版 日本国語大辞典 「養蜂」の意味・読み・例文・類語

よう‐ほうヤウ‥【養蜂】

  1. 〘 名詞 〙 蜜や蝋を取るために蜜蜂を飼育すること。
    1. [初出の実例]「養蜂の道を開けば国家の利益となるを」(出典:郵便報知新聞‐明治一六年(1883)二月二六日)
    2. [その他の文献]〔賈島‐贈牛山人詩〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「養蜂」の意味・わかりやすい解説

養蜂
ようほう
beekeeping
apiculture

昆虫のミツバチを飼養して、蜂蜜(はちみつ)、ロイヤルゼリー、蜂ろう、花粉、プロポリス(蜂脂(はちやに))、蜂毒などの生産利用や、農作物花粉媒介昆虫として利用することをいう。

[吉田忠晴]

歴史

養蜂は、木の洞穴などに営巣しているミツバチ群を見守ることから始まり、巣箱をくふうし、巣箱に営巣させて1か所に集めることによって緒についたといえる。とくに、ヨーロッパの各地では、地方色豊かな巣箱は丸太、コルクや樹皮、陶製の壺(つぼ)、麦藁(むぎわら)や小枝を編んだ籠(かご)と変化に富んでいた。しかし、養蜂暦は毎年変わることなく、初夏に分封群(分蜂群)をとらえて巣箱に営巣させ、晩夏にハチを殺して巣を取り出すという、いわゆる蜂蜜搾りをし、残った巣から蜂ろうをとるという原始的なものであった。

 16世紀になると、養蜂の歴史にたいへん重要性をもつ三つの流れが動き始めた。第一は、養蜂家に基本的なミツバチ科学が理解される可能性が探られ始めたこと。第二は、第一の事実をつかみながら、ミツバチを家畜化するための養蜂技術改良に熱心な努力が始まったこと。第三は、アメリカ、オーストラリア両大陸にミツバチが移入されたこと。第三の二つの大陸はのちにミツバチ科学と養蜂技術のうえに偉大な前進をもたらした。

 1851年アメリカのラングストロスL. Langstrothは、ミツバチに必要な巣板間隔(巣枠と巣枠との間を約9ミリメートルあける)を発見し、それを応用した可動式巣枠と改良巣箱を開発、その後1857年ドイツのメーリングJ. Mehringによる人工巣礎、1865年オーストリアのルシュカM. E. von Hruschkaによる採蜜用遠心分離器の三大発明が続いて行われ、養蜂が産業として急速に近代化され、養蜂技術は世界各地に普及することになった。

[吉田忠晴]

世界の養蜂

ミツバチ属Apisは、16世紀までヨーロッパ、アフリカ、アジアに分布しており、新世界、つまりアメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランドには生息していなかった。1800年代、新世界に導入されたセイヨウミツバチによる養蜂は、豊かな蜜源植物に支えられて発展し、多くの収穫を得ることで、経済基盤を確立した。地中海を除くアジア地域には、セイヨウミツバチではなく、トウヨウミツバチが野生しており、熱帯アジアでは古代からオオミツバチによる蜂蜜採取が行われてきた。日本、韓国、中国などではセイヨウミツバチが早くから導入され、安定した養蜂形態が成立しているが、近年、熱帯・亜熱帯アジア地域においてもセイヨウミツバチでの養蜂振興の可能性が検討されている。

 1999年の国連食糧農業機関FAO)の資料によると102か国、約600万人の養蜂家と5600万群のミツバチによる蜂蜜生産がある。1999年の主要養蜂国の飼養群数は、中国650万群、エチオピア520万群、ロシア360万群、アメリカ260万群、タンザニア250万群、アルゼンチン220万群、メキシコ200万群などで、約90万トンの蜂蜜が全世界で生産されている。1998年の統計によると中国18万4000トン、アメリカ9万5000トン、アルゼンチン6万5000トン、メキシコ4万6000トン、カナダ2万9000トン、オーストラリア2万4500トンなどがおもな生産国である。これに対し輸入量の多い国は、ドイツ8万9000トン、アメリカ4万5000トン、日本3万9000トン、スペイン1万6000トン、イギリス1万4000トンなどである。そのほか、ロイヤルゼリーは中国本土、台湾が主要生産地であり、蜂ろうは全世界の生産量1万9000トンの大部分をアフリカ地域が占めている。ミツバチの集めた花粉(花粉団子)は食用に用いられているが、おもな生産国は中国、スペイン、アルゼンチンなどである。プロポリスは東ヨーロッパ諸国を中心に、ブラジル、中国などでも生産されている。また農作物の花粉媒介(ポリネーション)上、ポリネーターとしてのミツバチの利用は多くの国々で重要な役割を果たしている。アメリカ農務省の1983年の農業統計によれば、129種の作物を根拠としたアメリカのハチによるポリネーションの経済的価値は189億ドル相当と評価されており、蜂蜜と蜂ろう生産の1億4000万ドルに比べて実に135倍になっている。このように、世界各地でそれぞれ特徴ある養蜂が営まれているのである。

[吉田忠晴]

日本の養蜂

日本では『日本書紀』皇極(こうぎょく)天皇2年(643)の条にミツバチに関する最初の記事が登場する。国産蜂蜜の記事がはっきりとした史料に書かれたのは、平安時代に入ってからである。『延喜式(えんぎしき)』(927成)に蜂蜜献上の記録がある。『今鏡』『今昔物語集』に、それぞれミツバチを飼った記事や報恩説話が登場する。その後1791年(寛政3)『家蜂(かほう)畜養記』、1799年『日本山海名産図会』、1872年(明治5)『蜂蜜一覧』には江戸時代末期までの伝統的な養蜂様式をかいまみることができる。旧式養蜂でのミツバチはニホンミツバチによる養蜂の歴史である。これらニホンミツバチは現在でも、旧式な木胴巣箱などを用いて飼養されている。

 近代養蜂は、1877年に可動巣枠巣箱とともにセイヨウミツバチがアメリカより導入され、まもなく小笠原(おがさわら)諸島で飼われるようになったのが始まりである。その後しだいに全国に普及するようになり、岐阜県が多くの先覚者を生み、日本の養蜂をリードしてきた。1999年(平成11)11月の登録によれば、1998年ミツバチ飼養者数は5513人で、1990年の8281人に比べて2800人ほど減少している。総蜂群数は18万8561群である。1980年の蜂群数は30万群以上で、1990年にはやや減少したものの25万群を保っていたが、1998年には18万群と、その減少は大きいものとなっている。上記の群数以外に12万群のミツバチが、果樹や蔬菜(そさい)類の花粉媒介に利用されている。近年では、イチゴ、メロン、スイカなどの施設園芸に8万9275群、リンゴ、ナシ、モモ、オウトウ、ウメ、カキなどの果樹や、カボチャタマネギなどの野菜類に3万3969群が報告されている。1998年の蜂蜜国内生産量は3062トンで、1990年前後の5000トンに比べると2000トンほど減少している。輸入量は国内生産量の約10倍にあたる2万9425トンで、日本の消費量の80%以上が輸入でまかなわれ、ドイツ、アメリカに次ぐ世界第3位の輸入量である。蜂蜜は20か国から輸入され、そのうち中国からのものが総輸入量の89%を占めている。ロイヤルゼリーの国内生産量は1998年は5.4トンであるが、中国、台湾より約400トンが輸入され、他国からみれば驚異的な数字である。多くは健康食品として利用されているが、その背景には東洋医学的な発想に加えて工業化社会、高齢化社会と経済的な豊かさがある。蜂ろうは国内生産量64トンであるが、蜂蜜、ロイヤルゼリーと同様に国内生産量の10倍以上の955トンを輸入している。そのほか花粉とプロポリスは、健康食品として、また治療効果のあるものとして知られるようになってきている。

 亜熱帯から亜寒帯に及ぶ日本列島は、養蜂にとって重要な役割を果たしている有用な植物の種類数がきわめて多く300種を超え、その開花時期も異なっている。そのため専業養蜂家の多くは、花を追い、越冬地を求めて移動養蜂を行っている。日本の蜜源植物の代表的なものとして、レンゲソウ、ミカン類、ニセアカシアホワイトクローバートチノキシナノキ類をあげることができる。蜜源植物の植栽面積は、1970年に73万ヘクタールあったものが、1998年には25万ヘクタールに減少している。とくに1970年ごろには、採油用として21万ヘクタールと全国的にもっとも有力な蜜源であったナタネは631ヘクタールと激減した。同様にレンゲソウも1970年の8万ヘクタールから2万1000ヘクタールと減少していることは大きな痛手である。またニセアカシア、トチノキなどの蜜源木も減少の傾向を示しているが、最近、自然保護の立場から乱開発の防止が政府レベルで検討されており、養蜂関係団体では、蜜源となる樹種の選定を願うべく運動が続けられている。

 日本ではセイヨウミツバチが導入されてから約120年の間に蜂蜜・ロイヤルゼリー・プロポリスの消費量は着実に拡大している。そしてその間、転地養蜂、単一蜜源からの蜂蜜生産、温室を利用した果樹・野菜の花粉媒介などの養蜂形態が営まれてきている。

[吉田忠晴]

『岡田一次著『ミツバチの科学』(1985・玉川大学出版部)』『酒井哲夫編著『ミツバチのはなし』(1992・技報堂出版)』『佐々木正己著『養蜂の科学』(1994・サイエンスハウス)』『国際ミツバチ研究協会編『養蜂用語辞典』(1985・玉川大学ミツバチ科学研究所)』『角田公次著『ミツバチ――飼育・生産の実際と蜜源植物』(1997・農山漁村文化協会)』『渡辺寛・渡辺孝著『近代養蜂』改訂第3版(1984・日本養蜂振興会)』『吉田忠晴著『ニホンミツバチの飼育法と生態』(2000・玉川大学出版部)』

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改訂新版 世界大百科事典 「養蜂」の意味・わかりやすい解説

養蜂 (ようほう)
beekeeping
apiculture

はちみつ(蜂蜜)やローヤルゼリー蜜蠟みつろう)その他の生産物を生産利用するためにミツバチを飼育することをいう。

前3000年ころにはすでに古代エジプト時代のナイル川流域でミツバチが飼育されていたことが,洞穴の壁画などに見られる蜂具や採みつ風景,あるいはミツバチでかたどられている王冠などにより知ることができる。養蜂の歴史はきわめて長いにもかかわらず,1800年代に至るまでその飼養形態は原始的で放任にちかい状態が続いた。社会性昆虫であるミツバチに,最初に科学的知見を与えたのはアリストテレスとされている。その後ずっと後世になり1670年オランダのJ.スワンメルダム,1793年スイスのユーベルF.Huber,1841年ポーランドのジェルゾンJ.Dzierzonらが築いたミツバチ社会に関する生物学的基礎研究の成果のうえに,51年にはアメリカのラングストロスL.Langstrothが可動式の巣框(すわく)(巣板)を開発して,それまでの飼育法を一変させ,養蜂に関する科学的管理技術が確立される契機となった。その後57年ドイツのメーリングJ.Mehringが人工巣礎(すそ)を創案,また65年にはオーストリアのルシュカM.E.von Hruschkaが採みつ用遠心分離機を発明するなど,養蜂が産業として急速に近代化され,西洋式養蜂技術は世界各地に普及することになった。

ヒトが飼育するミツバチとして,その主役を演じてきたのは西洋種(セイヨウミツバチApis mellifera)と東洋種(インドミツバチA.cerana)の2種である。西洋種は経済性が高く優良品種として世界各地で飼育されている。イタリアン,コーカシアン,サイプリアン,カーニオランなどの品種があり,なかでもイタリアン種は収みつ力,環境適応力,害敵防御能力,耐病性などに優れ,世界各地で最も多く飼育されている。東洋種は主としてインド,中国,日本,韓国,ロシア(シベリア)などで古くから飼われ,そのほかタイ,ミャンマー,フィリピン,インドネシアなど東南アジア各国でも飼育されている。西洋種に比べて収みつ力が劣り,外敵を防ぐ能力が弱く,巣虫の食害を受けやすく,逃去癖などのため,一般には自家用として飼育する程度である。ミツバチ属Apisにはこのほかにインド最大種(オオミツバチA.dorsata)とインド最小種(コガタミツバチA.florea)が主として中近東から東南アジアの熱帯地域に生息している。これらのミツバチは飼育が困難なため,もっぱら自然の巣を採取して,はちみつと蜜蠟を利用している。とくに蜜蠟は東洋種のそれとともに品質はとくに優れ,古来貴重な資源として利用されてきた。

 このように養蜂は主として西洋種で営まれており,1年間の採みつ量は1群当り20~100kgで,条件がよい場合は200~300kgに達することもまれではない。1995年のFAOの資料によると,全世界のはちみつ生産量は約120万tで,そのうち中国18万t,アメリカ10万t,アルゼンチン7万t,トルコ5.5万t,インド5万t,メキシコ5万t,旧ソ連ではウクライナ6万t,ベラルーシ5万t,ロシア4.4万tなどがおもな生産国である。

 養蜂産業は温帯・亜寒帯地域が盛んであるが,近年,熱帯地域の養蜂に関心がもたれ始めている。メキシコ,ブラジル,エチオピアなどはすでに養蜂産業が定着しつつあるが,他の熱帯地域は一般にみつ源植物が豊かであるとされながら,ほとんど有効に利用されていない。熱帯地域には発展途上国が多く,自国の食糧自給力の向上をはかるとともに,貿易収支の改善をはかるなどのために,ミツバチのもつ穀類や果菜,果樹類の花粉媒介昆虫(ポリネーター)としての役割を利用する養蜂の振興策が検討されている。とくにアフリカの諸国や東南アジアの一部の国では,ドイツやカナダからの技術協力体制ができ,今後の発展が期待されている。しかし,これら熱帯地域では,ミツバチの品種の問題や熱帯特有の気象条件に適した管理技術の確立,ミツバチの病気や害敵の防除など解決すべき課題も多い。主要養蜂国と飼養群数は次のとおりである(2002)。旧ソ連900万群,中国900万群,アメリカ300万群,メキシコ300万群,ブラジル200万群。

日本では《日本書紀》に記された〈五月蠅〉がミツバチに関する記事としては最初のものだとされている(627)。その後〈蜜蜂〉という文字が643年(皇極2)の条に現れ,百済からの蜜蜂4枚群を大和の三輪山に放飼したとあり,その目的はもっぱら仏像鋳造用の蜜蠟を得るためであったとみられている。ハチの品種は東洋種であり,ニホンミツバチの祖であると考えられている。はちみつを採る目的でミツバチが人家に飼われるようになったことは,1708年(宝永5)貝原益軒の《大和本草》に初めて見られる。1858年(安政5)大蔵永常はその著《広益国産考》のなかで,ミツバチを飼うことの有用性を農家に説き,飼育をすすめていることから,当時はかなりの地域でミツバチが飼育されていたようである。ニホンミツバチは現在も飼育されているが,その数はしだいに減少しつつあり,現在保存の方法が考えられている。1873年(明治6)に田中芳男が西洋種による新技術を初めて日本に紹介し,1877年には政府がアメリカから西洋種を初めて日本に導入した(勧農局新宿試験場)。まもなく小笠原に運ばれ,小笠原は西洋種ミツバチ飼育の中心となり,しだいに全国に普及するようになった。大正の初期には日本列島を縦断する移動養蜂が始まり,現在も専業養蜂家の多くがみつ源の減少に悩まされながらも毎年移動しつつ採みつを行っている。昭和初期には種蜂を海外に輸出するなど生産の拡大がみられ,また第2次世界大戦時にははちみつは単に甘味・栄養源としてのみでなく,医薬的効能が認められて,蜜蠟増産とあわせて軍部の援助を受けることになり,このことがのちの満州(現,中国東北地方)へ大量の蜂群を導入する原因ともなった。戦後は栄養の改善や,環境,公害,自然食品などについての国民の関心が高まるなかで,はちみつの需要がしだいに伸びる一方で,みつ源の減少などのため生産が伸び悩み,輸入によって不足分を補っている。なおみつ源植物としては,レンゲソウ,ミカン,ナタネ,アカシア,トチノキ,シナノキ,ソバ,ビワなどがおもなものである。1955年に公布された養蜂振興法は,蜂群の配置を適正にし,はちみつや蜜蠟の増産をはかり,あわせて農作物の花粉受精の効率化をはかることを目的として制定されたものである。養蜂は花粉受精をとおして食糧生産に大きく貢献しながら,はちみつ,ローヤルゼリー,プロポリス(ハチやに),蜜蠟など,有用な生産物を直接人類社会に提供している。

養蜂を営むには,花とハチとヒトが三位一体の関係にあることが望ましい。巣箱で飼育するが,現在西洋式ラングストロス型巣箱が最も多く用いられている。用具として巣箱のほか継ぎ箱(2段,3段と積み重ねる),巣脾框(すひわく)(巣房(すぼう)のある巣脾を木の框に取り付けたもの),巣礎(ミツバチが巣房を構築する基になる鑞(ろう)製の型板)など,管理用具として覆面布(ハチが顔面や頭に襲来するのを防ぐ網),薫煙器(蜂群を鎮静させるために煙を吹きかける器具),蜂はけ(蜂群を巣脾面から払い落とすためのもの),分離器(遠心力を利用して巣框からはちみつを分離する器具),みつ刀(収みつのとき巣脾のみつ房蓋を切るための刀),ハイブツール(巣框の移動や巣箱の清掃などに使用する独特の形をした金属製のへら),給餌器(花みつの少ないときに糖液やはちみつを給与するための器)などが最小限必要である。そのほか隔王板,スズメバチ捕獲器,王籠(おうかご)が必要な場合もある。飼育にあたり最も大事なことは,飼育者がミツバチ社会のしくみをよく理解し,みつ源の情況をよく把握し,適時・適切な管理をして蜂群を常時最強の状態に保持することである。女王蜂は高い産卵率が要求されるので,普通1~2年で更新される。

 養蜂は秋から始まるといわれるほど,越冬の準備がたいせつである。すなわち,若蜂の大群と充実した女王蜂,越冬に十分な貯みつと花粉の確保は不可欠である。春,花咲き乱れる流みつ期は養蜂家もミツバチにおとらず大変忙しい。継ぎ箱の増設,みつの分離,分封管理,さらにみつ源を求めての移動養蜂の場合など,晩夏まで採みつ活動が続く。秋になるとミツバチの大敵スズメバチの防除に,そして年間を通じて腐蛆(ふそ)病の防除や寄生ダニ(ヘギイタダニ)その他の病虫害防除について注意を払わなければならない。適切な管理ができれば,高度の技術や多額の資金の必要もなく,趣味として飼育することも楽しいものである。
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百科事典マイペディア 「養蜂」の意味・わかりやすい解説

養蜂【ようほう】

ミツバチを飼養して,蜂蜜(はちみつ),ローヤルゼリー蜜蝋(みつろう)を採集したり,果樹や野菜などの受粉に役立たせることをいう。移動養蜂と定地養蜂がある。世界で最も多く飼われているミツバチはヨーロッパ種のイタリアン,カーニオラン,コーカシアンなど。主要養蜂国は旧ソ連,中国,米国,メキシコなど。1群当りの年間採蜜量は国や地方によって差があるが,ふつう20〜100kg。日本では150〜200群を有する専業家が,鹿児島県を振出しに3〜9月ころまで蜜源植物を追って北上する。巣箱に数枚の巣脾(すひ)を入れ,巣房を造らせ蓄蜜させる。蜜がたまれば遠心分離機で採蜜する。養蜂によって得られる利益のうち,経済的に大きいのは花粉媒介による農産物の増産である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「養蜂」の意味・わかりやすい解説

養蜂
ようほう
beekeeping

蜂蜜,ロイヤルゼリー,蜜ろうをとる目的で蜜蜂を飼育すること。養蜂の歴史はきわめて長いにもかかわらず,生産性は 1850年頃までほとんど向上することがなかった。しかし,そのころにモーゼス・クインビーや L.L.ラングストロスなどがそれぞれ巣箱や燻煙器を考案し,技術革新が行われた。養蜂の経営形態には,少数の蜂群を主体として一定地域や近距離を移動する副業型の定飼養蜂と,遠距離の蜜源地帯を移動する専業型の転飼養蜂とがある。蜜蜂の標準品種はイタリアン,カーニオラン,コーカシアンなどで,れんげ,菜種,そばなどがおもな蜜源。蜜蜂はその生産物の価値のほか,花粉媒介によって農作物の増収をもたらす働きも大きく,1955年制定の養蜂振興法も,蜂蜜などの増産と農作物の結実向上とを目的としている。しかし日本の生産量は漸減してきており,現在消費量の約8割が輸入されている。 90年の生産量は約 4853t。世界的にはアメリカ,オーストラリア,ソ連,中国,アルゼンチン,ハンガリーなどの産額が大きい。

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普及版 字通 「養蜂」の読み・字形・画数・意味

【養蜂】ようほう

蜜蜂を飼う。

字通「養」の項目を見る

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栄養・生化学辞典 「養蜂」の解説

養蜂

 ミツバチを使って蜂蜜を生産すること.

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