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ヒルファーディング Hilferding, Rudolf

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒルファーディング
Hilferding, Rudolf

[生]1877.8.10. ウィーン
[没]1941.2.11. パリ
ドイツ (ユダヤ系) の医者,経済学者,政治家。 1901年ウィーン大学医学部で医学博士号を取得,のち経済学に興味をもち,オーストロ・マルクシズムに傾倒する。 1907~15年社会民主党機関紙"Vorwärts"の編集者となり,社会民主党の理論的指導者として活躍。第1次世界大戦勃発時には党内左派とともに自党の戦時国債承認に反対し,平和主義を提唱。戦後はドイツ独立社会党に属したが,ハレの党大会でコミンテルン代表 G.ジノビエフに反対して第三インターナショナルへの加盟に反対し,社会民主党へ合流した。 24年および 28~29年に蔵相をつとめて通貨の安定に功績をあげた。ヒトラー政権の成立とともにフランスへ亡命したが逮捕され,獄中で死亡。主著金融資本論』 Das Finanzkapital (1910) は「資本論以後の資本論」とも称されるマルクス経済学上の名著で,K.マルクスの理論を発展させて,金融資本主義の段階を包括的,科学的に分析しうるものにしようと試み,銀行資本と融合した独占的産業資本としての金融資本概念を提示し,その後の帝国主義論に大きな影響を与えた。ほかに M.アドラーとの共同編集による"Marx-Studien"を刊行し,その第1巻 (04) 所収論文『ベーム=バウェルクのマルクス批判』 Böhm-Bawerks Marx-Kritikによってマルクス経済学者としての名声を獲得した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒルファーディング
ひるふぁーでぃんぐ
Rudolf Hilferding
(1877―1941)

ウィーン生まれのオーストリア・マルクス主義者で、ドイツ社会民主党の理論的・政治的指導者として著名。青年時代にウィーン大学で医学を学ぶとともに、社会諸科学にも深い関心を抱いて、いち早く学生社会主義団体に所属していた。1902年以降、カウツキーの勧めに応じてドイツ社会民主党の理論的機関誌『ノイエ・ツァイト』Neue Zeitの編集・執筆に参加し、1906年には同党の党学校の教師、1907~1915年には党の中央機関誌『フォルベルツ』Vorwrtsの編集者として活躍した。1914年第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)の際には党内左派の立場にたっていたが、翌1915年軍医として従軍した。戦後ドイツに復員、時の独立社会民主党の指導者となる。1922年新たにドイツ社会民主党が結成されると、その指導的理論家として迎えられ、1923年、1928~1929年には財務大臣に就任したこともあった。しかし、1933年にナチス政権が成立するとヨーロッパ各地に亡命を続けることとなり、ついに1941年マルセイユ近郊で捕らわれ、同年2月11日ゲシュタポによる過酷な監禁下で非業(ひごう)の死を遂げるに至った。
 生前きわめて多彩な著述活動を展開しているが、その理論的業績の最高峰を示すものは主著『金融資本論』Das Finanzkapital(1910)である。これは、マルクス『資本論』体系の論理に立脚して、独占資本主義段階の特殊な経済諸現象を、銀行資本と産業資本との融合として現れる金融資本の運動のなかにとらえ、この金融資本の経済諸政策を包括的に鋭く批判した古典的労作であり、その主張には幾多の大きな誤りがみいだされるにもせよ、しばしば「『資本論』以後の『資本論』」と称せられるほど、帝国主義論研究史上不朽の名著の一つとされている。[古沢友吉]
『『金融資本論』(岡崎次郎訳・岩波文庫/林要訳・大月書店・国民文庫)』

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367日誕生日大事典の解説

ヒルファーディング

生年月日:1877年8月10日
ドイツ(ユダヤ系)の医者,経済学者,政治家
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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