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ビザンティン文学 ビザンティンぶんがく

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世界大百科事典 第2版の解説

ビザンティンぶんがく【ビザンティン文学】

ビザンティン帝国において,ギリシア語でつくられた文学をいう。その基本特質は,古代アッティカ語ないしその擬似形態で書かれた教養文学と,現代ギリシア民衆語(ディモティキ)の先行形態である中世民衆用語を用いた民衆文学との二元性である。それは,ラテン語の展開(古代ラテン語→中世通俗ラテン語→ロマンス諸語)と基本的には,軌を一にして,ギリシア語も,古代アッティカ語→コイネー→中世・現代ギリシア民衆語という展開をとげたにもかかわらず,もはや話し言葉でなくなった古代アッティカ語を用いて創作する文学活動が,ビザンティン帝国ではなお優勢だったからである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビザンティン文学
びざんてぃんぶんがく

4世紀にローマから分かれて成立した東ローマ帝国(ビザンティン帝国)は、実質上、ヘレニズム文化を継承するギリシア帝国に等しかった。したがって、そこで生み出された文学(ビザンティン文学)は、古代ギリシア文学の延長線上にあり、その言語も古いギリシア語を手本としたものであった。しかし内容は、ギリシア・ローマ的基調にキリスト教的色合いが強く加わり、さらに東方の影響が加味されたものであった。
 ビザンティン文学は次の三期に分けることができる。第1期(4世紀~7世紀初頭)―古代型の文学にかわり、新しいキリスト教的型式が生み出されていった時期。第2期(7世紀中期~9世紀中期)―外異の諸民族との抗争に慌ただしく、文学活動が沈滞した時期。第3期(9世紀後半から1453年のビザンティン帝国滅亡まで)―文運復興の時期で、文学の素材や言語に民衆的要素が現れた時代。
 ビザンティン文学には、このような時代的区分のほかに、宗教文学と世俗文学、純正語(学者語)文学と民衆語(俗語)文学、などの分け方もあるが、ここでは形式上から、散文と詩に分けて考察する。[関本 至]

散文

まず膨大な量の神学書(聖書解釈、教義論、宗教論争、説教などを含む)がある。とくに4、5世紀は、アタナシウス、バシレイオスらをはじめとする教父たちの活躍した時期であった。教父文学には、その表現や思弁の傾向に、ヘレニズム時代の修辞法や哲学の影響が多分にみられ、また東方の禁欲主義の影響も看取される。これらを模範として、その後、多くの神学書が書かれたが、6世紀以降は聖像破壊論争(イコノクラスム)と神秘主義の発展のほか、さほど独創的なものはみられない。
 次に、ビザンティン文学のなかでも、とくに際だった部門の一つとして歴史書がある。エウセビウス(4世紀)、プロコピオス(6世紀)そのほか大ぜいの歴史家の手になる宮廷史、政治・外交史、教会史、年代記、自叙伝などのおかげで、われわれはビザンティンの歴史をほとんどくまなく知ることができる。なかでもアレクシオス1世の娘アンナ・コムネナが父皇帝の事績を記した『アレクシアス』全15巻(12世紀)や、ビザンティンの滅亡を記録した4人の歴史家の史書などは、とくに注目すべきものである。またビザンティンの歴史書は、この帝国と接触をもった数多くの民族についての貴重な情報を提供することにおいても価値は高い。
 また古代にはみられなかった特異な世界年代記が、多くは僧侶(そうりょ)の手によって大衆向けにつくられた。伝記では、神学者アタナシウスの『聖アントニウス伝』(4世紀)が聖徒伝のモデルとなった。聖徒伝や各種の伝記には、聖徒の行跡の正確な記述から、空想譚(たん)、冒険譚に類するものまで、さまざまの種類がある。その多くは民衆語で書かれ、大衆を教化する役割をもつとともに、また娯楽に供せられるものでもあった。さらに、聖書中のエピソードをもとにつくった聖書物語や、ヘレニズム時代の恋愛物語を模倣したものなどもある。異色の作品は僧ヨアンネス(7世紀)の『バルラアムとヨアサフ』で、これは仏陀(ぶっだ)伝をキリスト教風に翻案したものである。散文学には、このほか、ルキアノスを模した風刺文学や、修辞学的作品、書簡集などがある。[関本 至]

文人詩には、教訓詩、風刺詩、その他さまざまのものがある。初めは、形式、内容とも古代文学を模倣したものが多かったが、のちには日常生活のあらゆる事柄が素材とされた。貧窮と庶民感情を歌い上げたプロドロモスTheodorus Prodromus(1075ころ―1153ころ)のような特異な作家もいる。礼拝式用の宗教賛歌が発達し、それには古典的ミーター(諳律(あんりつ))にかわって、強弱アクセントに基礎を置くミーターが早くから取り入れられたことも注目しなくてはならない。物語詩は、ヘレニズム小説を土台とした粗末なものから、13世紀になると十字軍による西欧の影響を受けた騎士道と恋の詩が現れてきた。叙事詩中の白眉(はくび)は『ディゲニス・アクリタス』(11世紀ごろ成立)である。アラブの太守とビザンティンの名家の娘との間に生まれたディゲニス・アクリタスの武勲や恋、そしてユーフラテス川畔での平和な晩年と死を歌ったものである。叙情詩と劇は振るわなかった。若干の劇がつくられたが、古典劇と同様、実演はされなかったらしい。このことは、ギリシア正教のもつ非現世的な姿勢とかかわりがありそうである。
 ビザンティン文学は、概していえば、宮廷人、学者、僧侶の手になる文学であった。彼らが伝統を重んじ、古典を保存した功績は大きく、西欧ルネサンスもそのおかげを被った。しかし時代の下るにつれて、古典の伝統からはみでた庶民の日常語による文学、とくに民衆詩が地方に発生し、近代のギリシア文学へとつながってゆく。[関本 至]
『関本至著『現代ギリシアの言語と文学』(1987・渓水社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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