アンナコムネナ(英語表記)Anna Komnēna

改訂新版 世界大百科事典 「アンナコムネナ」の意味・わかりやすい解説

アンナ・コムネナ
Anna Komnēna
生没年:1083-1153か54ころ

ビザンティン皇帝アレクシオス1世コムネノスの娘。父の臨終にさいし,夫のニケフォロスブリュエンニオスを帝位につける宮廷陰謀に失敗し,弟のヨハネス(2世)が即位するにおよんで修道院に入り,夫が残した1070-79年にわたる未完の歴史をひきついで,15巻の《アレクシアスAlexias》を著し,父皇帝の歴史を記した。当時の擬古文,古代アッティカ風ギリシア語を用い,トゥキュディデスポリュビオス手本とした,コムネノス朝時代の文芸復興の最大の文学作品で,幼少の頃から培われた著者の人文主義者としての教養随所にあふれている。宮廷内でのめぐまれた地位は,著者に皇帝文書,皇帝に仕えた将軍たちの報告書などの利用を可能にさせ,この作品を同時代の歴史を伝える第一級の叙述たらしめているが,他面,父への敬慕の念や家柄についての誇り,ラテン人その他の異民族にたいする偏見が,しばしば記事の正確さをゆがめている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンナコムネナ」の意味・わかりやすい解説

アンナ・コムネナ
あんなこむねな
Anna Comnena
(1083―1153/1154ころ)

ビザンティン帝国唯一の女流歴史家。皇帝アレクシオス1世の長女に生まれ、コンスタンティノポリス最高の教養を身につけた才媛(さいえん)。歴史家ニケフォロス・ブリュエニオスの妻となり、父帝の死後に弟のヨハネス2世と皇位を争って破れ、修道院に隠棲(いんせい)。夫の『歴史』の継続を志し、父アレクシオス1世の栄光とコムネノス家の台頭を主題にした『アレクシアス』15巻を著した。1069~1118年を扱うこの回想録風の作品は、西欧蔑視(べっし)、反十字軍思想、帝国領外の異民族に対するビザンティン文化の優位、反カトリック教会の立場を明確にしている点で、典型的なビザンティン精神の所産である。作者はトゥキディデスポリビオスに倣った古典ギリシア語で書こうと努力したため、その解釈は容易でない。だが、他の歴史家たちの作品にみられない公文書類、高位高官の証言の豊富さにおいて、この大著は第一級の歴史史料であり、また文学作品としても鑑賞に値する。

[和田 廣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンナコムネナ」の意味・わかりやすい解説

アンナ・コムネナ
Anna Comnena

[生]1083
[没]1153頃
ビザンチンの歴史家。皇帝アレクシウス1世の長女。父の死後,夫ニケフォロス・ブリュエンニオスを帝位につけようとして失敗,母イレネとともに修道院に隠棲し,著作に専念した。豊かな天分に恵まれ,また当時の女性には珍しい高度の教養を身につけており,父帝の時代 (1069~1118) を鋭い感受性をもっていきいきと描いた史書『アレクシアス』 Alexias (8巻,1148年以後に完成) は,12世紀の東ローマ帝国および第1回十字軍遠征に関する史料として重要であるばかりでなく,ビザンチン的価値観を示すものとして興味深い。アッチカ擬古文で書かれ,記述の態度もツキジデス,ポリュビオスら古代の大歴史家を意識している。

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367日誕生日大事典 「アンナコムネナ」の解説

アンナ・コムネナ

生年月日:1083年12月1日
ビザンチン時代の歴史家
1148年没

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