改訂新版 世界大百科事典 「ビューコロンビエ座」の意味・わかりやすい解説
ビュー・コロンビエ座 (ビューコロンビエざ)
Théâtre du Vieux-Colombier
フランスの劇場,劇団。パリ6区の同名の通りにあったアテネ・サンジェルマン座を演出家コポーがフランシス・ジュルダンに改装を依頼し,1913年10月に演劇革新の拠点として開場した。デュラン,ジュベ,テシエなどを糾合してモリエール,ミュッセ,シェークスピアなどの古典の現代化と現代劇の上演で大成功を収める。第1次大戦中劇団はアメリカに巡業するが,20年10月にジュベの原案によるコンクリート造りの基本舞台が設置されて再開される。ロマネスクの教会のミサ台から想を得たという舞台前面の階段が観客席につながって,いわゆる第4の壁が排され,舞台奥のバルコニーとその下の内舞台はエリザベス朝の舞台構造を取り入れている。各所に設けられた出入口,階段,切穴などが演技の場を多様化してわずかな小道具の追加と照明の工夫によってあらゆる戯曲の要求にこたえられるように考案され,その後の舞台設計に大きな影響を与えた。コポーはまた新しい演劇のためには新しい俳優の養成が必要だと考え,この劇場内に演劇学校を併設し,まったくの新人を中等教育の段階から演劇に親しませ一般的教養と演技能力の一致をはかることで以後の俳優養成の模範ともなった。劇団は24年に解散するが劇場は同名のままコポーの弟子たちの〈15人組〉の本拠となり,第2次大戦後,基本舞台は撤去されるが,サルトルの《出口なし》などの前衛的作品を上演し,70年代に閉鎖された。
執筆者:安堂 信也
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