ピカルディー(読み)ぴかるでぃー(英語表記)Picardie

日本大百科全書(ニッポニカ)「ピカルディー」の解説

ピカルディー
ぴかるでぃー
Picardie

フランス北部の歴史的地方名、旧州名。パリ北郊の地域で、中心都市はアミアン。現在も行政地域名として用いられ、エーヌ、オアーズ、ソンム3県の範囲にあたる。これは旧州名の範囲とは多少異なるが、その面積は1万9399平方キロメートル、人口185万7481(1999)。地質的にはパリ盆地の北部を含み、平野と標高の低い台地からなる。中小都市しか存在しないが、豊富な労働力の存在とパリからの工業の分散によって工業化が進展し、人口の増加が著しい。農業も大規模経営が卓越し、機械化が進み料の投下も多く、テンサイ、小麦、大麦、ジャガイモなどの産出によって国内の主要農業地域を形成している。

[高橋伸夫]

歴史

先史時代から人類の居住が認められ、サン・タシュールの初期旧石器の出土はとくに名高い。ケルト人が紀元前1000年紀に移住したが、前57年以来、ローマの属州ガリア・ベルギカの一部に編入された。紀元後3世紀以来フランク人が徐々に移住してフランク王国の主要部を形成したが、キリスト教の伝道も早く、7世紀にはいくつかの修道院が創設され、その政治的・文化的影響力を強めた。11世紀以降、三圃(さんぽ)制度による農業が普及し、開墾も進み、毛織物工業がソンム川流域に成長した。繁栄した都市は12世紀にコミューヌ(自治都市)運動を展開、自立性を強めたので、パリの王権はこの地方に注目し、これらのコミューヌと結合した。文化的にもアミアン大聖堂(13世紀創建)など優れたゴシック建築を残した。百年戦争期には、イギリス、フランス両王権とブルゴーニュ公の争奪の的となり、戦争後も国王ルイ11世とブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)との争いが1477年まで続いた。1482年フランス王国に併合。16世紀はアミアンの綾(あや)織物工業をはじめとして経済的活況を取り戻したが、宗教戦争の過程では、カトリック勢力の拠点地方となった。

 17世紀に入ると、三十年戦争の最前線となり戦禍は甚大であったが、ルイ14世時代にはアブビルのバン・ロベー毛織物工場など特権的企業が成長している。18、19世紀にかけて織物工業を中心とする産業革命が進展する一方、農村人口の減少がみられた。20世紀の両大戦では戦場となり、アミアンをはじめ諸都市の大半が破壊された。

[千葉治男]


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百科事典マイペディア「ピカルディー」の解説

ピカルディー

フランス北部,パリ盆地の北,ソンム川流域を占める地方。ソンム,エーヌ,オアーズ3県を含み,中心地はアミアン。豊かな農業地帯の一方,ガラス・医薬品・鉄鉱・ゴム・化学・繊維・食品などの工業が盛んで,一大工業地帯をなす。1477年フランス領。第1次大戦では主戦場となった。

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世界大百科事典 第2版「ピカルディー」の解説

ピカルディー【Picardie】

フランス北部の旧地方名および現在の地域région名。中心都市はアミアン。現在の地域はエーヌ,オアーズ,ソンムの3県に相当し,旧地方は北西端の一部を含まず,逆に旧イル・ド・フランスとシャンパーニュの一部を含む。
[歴史]
 ローマ時代には属州ベルギカ・セクンダの一部であったが,5世紀にメロビング朝の本拠地となり,ソアソンが主都であった。肥沃な土地であったために,中世には修道院の開墾事業が進んだ。12世紀に入ると都市のコミューン化運動(コミューン都市)が始まり,フランドルの影響を受けて織物工業が導入され,先進的な商工業地帯になった。

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