アメリカの小説家。ニューヨーク州グレン・コーブ生まれ。家系はマサチューセッツ西部丘陵地帯の植民者ウィリアム・ピンチョンにさかのぼる名門。コーネル大学物理工学科に16歳で入学。途中海軍に入隊したが、復学して英文科に在籍し創作を始める。一時シアトルのボーイング社に勤務するが、その後メキシコに渡ってからの足どりは不明。公の場に現れず、顔写真も公表していない隠遁(いんとん)作家である。
『V.(ブイ)』(1963)、『競売ナンバー49の叫び』(1966)、『重力の虹(にじ)』(1973)と、大作・野心作を次々と発表し、現代アメリカの最重要作家の一人との評価を固めながら以後完默。『ヴァインランド』(1990)で熟成したユーモア=サタイア作家として再登場し、『メイソン&ディクソン』(1997)でピンチョン文学のスケールの大きさを認識させた。
早くは、エントロピー的世界観から終末を描く作家として、ヘラー、ボネガットとともにブラック・ユーモア作家とよばれ、また反リアリズムの旗手としてバース、バーセルミらとともに論じられもしたが、『重力の虹』以降その百科全書的知の全貌(ぜんぼう)と歴史の現実を引き受けるテーマの大きさが認識されるに及んで、ジョイスやメルビルとも比肩されるに至った。
彼の作品に投入される「知」は、熱力学、量子力学、微積分学、統計学、情報理論、工学、化学、生物学、薬学、心理学、精神分析学、オカルト=超心理学、文化人類学、宗教学、政治社会学、歴史哲学、言語哲学から、古代神話、映画史、音楽史、大衆文化に及ぶ。それら混然とした概念とイメージは、隠喩(いんゆ)的に結ばれ合って、読者の心に西洋文明の破壊的構造を刻んでいく。
1960年代と80年代のカリフォルニアを横断する『ヴァインランド』と200年前の建国期を舞台にした『メイソン&ディクソン』では、より秩序づけられた語りによってアメリカ文明の深層が探求されている。
[佐藤良明]
『志村正雄訳『競売ナンバー49の叫び』(1992・筑摩書房)』▽『志村正雄訳『スロー・ラーナー』(1988・筑摩書房)』▽『佐藤良明訳『ヴァインランド』(1998・新潮社)』
アメリカの作家。1958年コーネル大学卒業。現在までのところ《V.》(1963,フォークナー賞受賞),《競売品49番の叫び》(1966),《重力の虹》(1973)の3編の小説と1冊の短編集があるだけであるが,長編作品はいずれも賞を受け,高く評価されている。しかし,ジャーナリズムに顔を見せたことは絶えてなく,どこに住んでいるのかも明らかでないという稀有な作家である。《エントロピー》(1966)と題された短編小説にみられるように,その作品はしばしば現代科学,テクノロジーの概念をメタファーとして巧みに利用しつつ終末論的世界観を展開していく。《V.》は19世紀末から現代にいたる欧米文明の崩壊過程を1人のイギリス人と1人のアメリカ人を通して考察する。《競売品49番の叫び》は1960年代半ばのカリフォルニアの人妻の冒険が,17世紀ヨーロッパから現代アメリカにおよぶコミュニケーションの地下組織の存在を感知させる。《重力の虹》は第2次大戦中のドイツのV兵器をテーマに,時間的にも空間的にも奔放に想像力を飛翔させる作品である。
執筆者:志村 正雄
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