改訂新版 世界大百科事典 「ファルネーゼ」の意味・わかりやすい解説
ファルネーゼ
Alessandro Farnese
生没年:1545-92
スペインの将軍。イタリアの名門パルマ公家の出身。ローマに生まれ,スペインで成人。1571年レパントの海戦で武名をあげ,77年執政ドン・フアン・デ・アウストリアDon Juan de Austria(1547-78)の補佐官として反乱中のネーデルラントに赴任。翌年ドン・フアンの死後その跡を継いで執政となり,軍事的にも政治的にも稀有の才能を示した。79年カトリック系ワロン諸州が結成したアラス同盟と和解し(アラス講和),同年のマーストリヒト攻略を皮切りに南部諸都市を次々に平定,85年アントワープを陥落させた。しかしユトレヒト同盟に結集する北部への進撃は,やがてマウリッツの反撃にあって思うにまかせず,しかもアルマダ(無敵艦隊)の敗北(1688)に加えて,フェリペ2世の命によりリーグ(カトリック同盟)支援のためフランスへの転戦を余儀なくされた。86年父オッタビオOttavio Farneseの死後パルマ公位を継いだが,晩年は政敵の策謀によって王の不興を買い,本国への召還をまたずしてアラスで没した。
執筆者:川口 博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報