フィッシャー・フォン・エルラハ(英語表記)Fischer von Erlach, Johann Bernhard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フィッシャー・フォン・エルラハ
Fischer von Erlach, Johann Bernhard

[生]1656.7.20. グラーツ
[没]1723.4.5. ウィーン
オーストリアの建築家,彫刻家。 1670~86年ローマに滞在,P.ショールや G.ベルニーニの工房で修業。ウィーンとグラーツで彫刻家,庭園設計家として働き,のち建築活動を始める。 89年ハンガリー王ヨーセフ1世の建築学教師に奉職して以降,王室建築家としての地位を築く。 90年に2つの凱旋門と王宮,シェーンブルン宮殿を設計し,ウィーンの貴族やザルツブルクの司教などのために多くの城館,聖堂などを制作。ウィーンのカルルスキルヘ (1716起工) の競技設計入賞を機に,宮廷図書館 (23起工,のちのオーストリア国立図書館) を設計。独自の古典主義的形態にバロック様式を結合させ,ヨーロッパ北部におけるバロック建築の第一人者となる。他の代表作にトラウトソン宮 (09,ウィーン) がある。主著は『歴史的建築図集』 Entwurf einer historischen Architektur (21) 。

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百科事典マイペディアの解説

フィッシャー・フォン・エルラハ

オーストリア後期バロックの代表的建築家。初め彫刻家を志したが,1670年―1687年ローマでベルニーニに学び,建築に転向し,ウィーンを中心に活動。壮大な空間構成を特色とした。代表作とされるウィーンのザンクト・カール・ボロメウス教会は1716年に着手,死後息子のJoseph Emanuel Fischer〔1693-1742〕の手で完成された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フィッシャー・フォン・エルラハ
ふぃっしゃーふぉんえるらは
Johann Bernard Fischer von Erlach
(1656―1723)

オーストリアの建築家。グラーツに生まれ、初め彫刻を志すが、1682~86年ローマでカルロ・フォンタナに師事し、ザルツブルク、ウィーン、プラハで教会と宮殿建築に活躍した。彼の様式は、イタリア盛期バロックとフランス初期古典主義および古代末期の諸要素を融合したもので、ウィーンのシェーンブルン宮殿(1696~1706)、同カールス教会(1716~37)にみられるように、王権と教権との結合を基本理念としている。96年貴族の称号を受け、1706年宮廷建造物監督官に任ぜられた。各時代様式を折衷した銅版画集『歴史的建築の構想』(1721)がある。ウィーンに没。息子ヨーゼフ・エマニュエル(1693―1743)もウィーンの宮廷建築家として父の遺業を継ぎ、フランス古典主義に接近した。[野村太郎]

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