日本大百科全書(ニッポニカ) 「フウ」の意味・わかりやすい解説
フウ
ふう / 楓
[学] Liquidambar formosana Hance
マンサク科(APG分類:フウ科)の落葉高木。高さ20~40メートル。樹皮は若木では灰褐色で平滑、老木では細かく割れ、樹脂に芳香がある。葉は互生し、3中裂して先はとがり、長さ7~12センチメートル、縁(へり)に浅く切れ込む鋸歯(きょし)がある。秋、黄葉または紅葉する。雌雄同株。4月に開花する。雄花序は頭状でさらに総状に集まり、雌花序は頭状に単生する。花には萼片(がくへん)、花弁ともにない。蒴果(さくか)は多数集まって集合果となり、球形で径約2.5センチメートル、細長い花柱が刺(とげ)状に残り、10月に裂開する。中国大陸中南部、台湾原産で、日本には1727年(享保12)ころ渡来し、当時のものが皇居内に残っている。近縁種モミジバフウL. styraciflua L.は北アメリカ、メキシコ、グアテマラ原産の落葉高木で、樹皮は溝が深く、葉は掌状に5~7裂する。ともに公園樹、街路樹とする。繁殖は実生(みしょう)による。
[小林義雄 2020年5月19日]
文化史
『古事記』に湯津楓(ゆつかつら)、『万葉集』に若楓(わかかつら)の表現がみられ、また『和名抄(わみょうしょう)』で楓に乎加豆良(おかつら)(雄カツラ)をあてているように、平安時代までは、楓の字はカツラ科(APG分類:カツラ科)のカツラの1種と思われていた。それ以降、楓はカエデ科(APG分類:ムクロジ科)のカエデとされ、この当て字は現代まで続いている。フウが中国からもたらされたのは、平賀源内の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)によれば、享保(きょうほう)年間(1716~1736)で、正確な図も添えられているが、「絶えてしまった」との記述がある。なお、江戸時代に中国から導入された唐楓(とうふう)は今日のトウカエデ(ムクロジ科カエデ属)である。
中国では古くは宮庭に好んで栽培された木で、『説文解字(せつもんかいじ)』(100ころ)には漢の宮殿中に多く植えられたと書かれており、陸佃(りくでん)(1042―1102)の『埤雅(いが)』は、昔、王の住む所はフウとエンジュで覆われていたと述べている。王瓘(おうかん)の『軒轅本紀(けんえんほんぎ)』は、黄帝(こうてい)(中国古代の伝説上の皇帝)が豪族の蚩尤(しゆう)を殺し、投げ捨てた武器からフウが生じたとする伝説を載せている。
[湯浅浩史 2020年5月19日]