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フェラリ フェラリFerrari, Gaudenzio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フェラリ
Ferrari, Gaudenzio

[生]1470. バルドゥッジア
[没]1546.1.31. ミラノ
イタリアの画家,彫刻家。初めマルティーノ・スパンツォットに学んだが,その後ブラマンティーノ,ペルジーノ,特にレオナルド・ダ・ビンチに多様な影響を受けた。初期にはラファエロに協力してローマでも制作したが,おもにピエモンテ地方やロンバルディア地方の各地で活躍,多くの弟子を擁し,ミラノ派の一中心となった。画風は様式上の変遷がかなり激しいが堅固な形態表現と明晰な色彩効果を特徴としている。作品は『キリストの磔刑』 (1522,バラロ,サクロ・モンテ聖堂) ,ミラノのサンタ・マリア・デラ・パーチェ聖堂のための壁画 (46,ミラノ,ブレラ絵画館) 。

フェラリ
Ferrari, Giuseppe

[生]1811.3.7. ミラノ
[没]1876.6.2. ローマ
イタリアの哲学者,政治家。 1831年パビア大学を卒業,初め G.ビーコ研究に打込み,フランスに渡って 40年パリ大学の学位取得,48年ストラスブール大学の助教授となった。 48年3月ミラノ蜂起に加わるため帰国したが,社会革命より国家統一を優先させる G.マッツィーニらの考えと合わず,再びフランスに戻った。リソルジメント運動が終局を迎えた 59年イタリアに帰って統一でなく連邦制の実現を主張したが,実らなかった。 60年以後議員に選ばれるとともにイタリア各地の大学で政治哲学を講じた。主著『革命の哲学』 Filosofia della Rivoluzione (1851) 。

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百科事典マイペディアの解説

フェラリ

フランスの作曲家。フェラーリとも。パリ生れ。パリ国立高等音楽院でアルテュール・オネゲルやオリビエ・メシアンらに師事。1958年にピエール・シェフェールとともに音響や電子音楽に関わる〈音楽研究集団〉(GRM)を結成した。

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世界大百科事典 第2版の解説

フェラリ【Giuseppe Ferrari】

1811‐76
イタリアの思想家,政治家。急進的な立場からイタリアの統一をめざした。1848年のミラノ革命には亡命中のフランスから参加。48‐49年の敗北後,その経験を総括して,独立と統一を最優先させるマッツィーニに対して,社会革命が民族解放に不可欠であることを主張して彼を批判。統一にフランスとの協力が必要とする点でもマッツィーニと対立。統一達成後は下院議員として左派の立場を通した。【柴野 均】

フェラリ【Luc Ferrari】

1929‐
フランスの作曲家。オネゲル,メシアン,バレーズに師事。1958年シェフェールに協力して〈音楽研究集団〉を組織し,69年までここでミュジック・コンクレートの制作と指導を行った。音楽を映像や舞台芸術と結合して新しい表現のメディアを創造する実験にも積極的に取り組んでいる。主要作品は,ピアノのための《ビザージュI》(1956),ミュジック・コンクレート《ビザージュV》(1959),6打楽器奏者と演技者,聴衆のための《ソシエテV》(1967),任意の楽器のための《トトロゴスIII》(1969)などである。

フェラリ【Ludovico Ferrari】

1522‐65
イタリアの代数学者。四次の代数方程式の解法の発見者として知られる。正式の教育は受けなかったが,主人であったG.カルダーノにラテン語,ギリシア語,数学の訓練をほどこされ,優れた才能を示した。家庭教師で生計を立てていたが,死の直前の1年間はボローニャ大学の数学講師のポストに就任した。フェラリは何より,三次方程式の解法の公表を巡るN.タルターリアとの論争によって著名である。カルダーノはタルターリアが三次方程式の解法を見いだしたことを耳にし,教授を願い出たところ,秘密にすることを条件にその解法を与えられた。

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大辞林 第三版の解説

フェラリ【Ludovico Ferrari】

1522~1565) イタリアの代数学者。カルダーノに師事。四次方程式の解法の発見者として知られる。

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367日誕生日大事典の解説

フェラリ

生年月日:1522年2月2日
イタリアの代数学者
1565年没

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世界大百科事典内のフェラリの言及

【リソルジメント】より

…他方,民主主義派では48年革命の敗北後,国家統一と社会革命の関係をめぐって激しい論争が生じた。マッツィーニがイタリアの主導性,国家統一の最優先,社会革命の否定という立場をとるのに対して,ミラノ革命で活躍したC.カッターネオG.フェラリのグループは連邦共和制,政治革命と社会革命の結合,フランス共和派との連携を唱えて反マッツィーニ派の結集を図った。C.ピサカーネは国民的再生の運動は社会革命なしには実現しえないとしたが,フェラリらと違ってフランスに依存せずイタリア独自の主導性をもたねばならないと主張し,57年にサプリ遠征を試みた。…

【カルダーノ】より

…これに対してカルダーノは,タルターリアから得たわずかな示唆を手掛りにして,今日〈カルダーノの公式〉と呼ばれる3次方程式の一般的解法を見いだし,それを幾何学的に証明するとともに,従来の代数学を体系的に再考察し,そのさまざまな基本的性質を導出した。これらの画期的な成果は,彼の弟子L.フェラリの得た4次方程式の解法とともに1545年に《大技法》として出版され,近代的な代数学形成のための大きな原動力となった。また,パスカルやフェルマーによって展開される確率論の先駆的業績を残したことも注目される。…

※「フェラリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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