フェルディナント(2世)(読み)ふぇるでぃなんと(英語表記)Ferdinand Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

フェルディナント(2世)
ふぇるでぃなんと
Ferdinand Ⅱ
(1578―1637)

神聖ローマ皇帝(在位1619~37)。フェルディナント1世の孫。イエズス会教育を受けた反宗教改革の典型的な君主。1617年ボヘミア王、18年ハンガリー王となり、新教派を圧迫したため、18年ボヘミア貴族の反乱を招き、三十年戦争の発端をつくった。19年、皇帝に即位すると、ボヘミア議会は彼のボヘミア王廃位を宣言し、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世を王に選立したため、内外の旧教勢力の援助を受けて同年ワイサーベルクにフリードリヒを破り、ついでワレンシュタインを起用してデンマーク王クリスティアンの侵入を撃退し、一時は全ドイツを制したが、スウェーデン王グスタフ・アドルフの侵入を受け、戦争の渦中に没した。

[中村賢二郎]

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旺文社世界史事典 三訂版 の解説

フェルディナント(2世)
Ferdinand Ⅱ

1578〜1637
神聖ローマ皇帝(在位1619〜37)
フェルディナント1世の孫。イエズス会の教育を受けた熱心なカトリック教徒。1617年ベーメン王となり,新教徒の弾圧に着手したので,ベーメンの新教徒はフェルディナントの廃位を宣言してファルツ選帝侯を迎え,三十年戦争(1618〜48)の誘因となった。1619年に皇帝となり,戦争の初期にファルツ選帝侯を破って新教勢力を駆逐し,カトリック以外の信仰を禁じた。

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