アメリカの小説家。ヘミングウェイと並ぶ20世紀アメリカの代表的作家と目されている。その大胆な実験的手法と深い人間洞察、およびその文学的影響力の大きさは、20世紀最大の作家の一人といえよう。
1897年9月25日、アメリカ南部ミシシッピ州北方の町ニュー・オルバニーの旧家の長男として生まれる。まもなく一家は同じ地域の町リプレーに移り、さらに1902年、郡役所所在地、ミシシッピ州立大学のあるオックスフォードに移る。曽祖父(そうそふ)ウィリアム・クラーク・フォークナーは南北戦争の英雄で、当時ベストセラーの小説を書き、また鉄道会社をおこして政敵に暗殺されたといわれる、一種伝説的な名士で、その伝説を通じて作家フォークナーに大きな影響を与えた。祖父も弁護士として成功した人物。父はオックスフォードに移住してからは、さまざまな職業に従事して生計をたてた。
ウィリアム・フォークナーは高校中退、大学も1年余りで退学、16歳のころから世紀末文学や象徴主義の詩に深く親しみ、年長の友人フィリップ・ストーンの指導で読書にふけり、1917年ころからミシシッピ大学関係の新聞や雑誌に絵や詩や散文を寄稿し始める。第一次世界大戦中カナダのイギリス空軍に入隊、のち一時ニューヨークに住んだが、もっぱらオックスフォードで詩作そのほかの文筆活動に専念。1924年、処女詩集『大理石の牧神』をストーンの尽力で出版した。翌年ヨーロッパに渡るつもりでニュー・オーリンズに赴き、当時の有名作家シャーウッド・アンダーソンと約半年間親しく交わった。そこで小説創作に転じる機をつかみ、独自な象徴性をもつ処女作『兵士の報酬』(1926)を書く。短いヨーロッパ旅行後、長編『蚊』を書き、1927年に出版。このころから架空のミシシッピ州ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とする、いわゆる「ヨクナパトーファ・サガ」の世界構築に没頭し始めた。
その第一作『サートリス』(1929)は、曽祖父をモデルにしたサートリス大佐の人間像が象徴する過去の幻と、「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」風な青年ベイヤード・サートリスの自己破壊的現実生活との対照を主軸にする一種の習作。次作『響きと怒り』(1929)は、過去の重圧を負う現代人の苦悩を、モダニズムの技法を駆使してリアルに描き取り、作家としての急激な成熟を感じさせる。『サートリス』が容易に出版社をみいだしえなかったことによって、かえってこの作品に作者自身の未来を賭(か)けさせる結果となり、この作以後、いよいよ深く独自の世界を追求し、次々と奔流のようにヨクナパトーファ連作の重要作品を書き続ける。1929年6月、かつての恋人、離婚直後のエステル・オールダムと結婚、以後は生涯の大部分をオックスフォードで過ごした。
ヨクナパトーファ連作は、『響きと怒り』後、『死の床に横たわりて』(1930)、『サンクチュアリ』(1931)、短編集『これら十三編』(1931)、『八月の光』(1932)などと続き、しだいに深まりをみせ、やがて『アブサロム、アブサロム!』(1936)で一つのクライマックスに達する。アメリカの深南部という特殊地域を舞台に、ことばの芸術としての小説への透徹した省察を通じて、現代世界の普遍的人間状況を一つの象徴としてとらえたところに、これら作品群の独自性がある。続いて『野性の棕櫚(しゅろ)』(1939)で愛と死の主題を徹底し方法的実験を繰り返したあと、ふたたびアメリカ小説の伝統的様式(「語り」)に戻り、南部に伝わる「ほら話」を利用し、ユーモラスな雰囲気で描き出す『村』(1940)、プリミティビズムによって南部つまり人間社会の救済を探る『行け、モーセ』(1942)など静謐(せいひつ)で雄勁(ゆうけい)な作品に、作者の追求する人間の主題を肯定的に描き出す。しかし、期待に反して作品は売れず、家庭的にもあまり恵まれず、生活のため1年の半分をハリウッドでシナリオ書きに追われた。
1946年、批評家M・カウリーによる選集『ポータブル・フォークナー』がきっかけとなり、次々に旧作が再版された。また新しい作品『墓地への侵入者』(1948)、『尼僧への鎮魂(ちんこん)歌』(1951)、現代のキリスト物語ともいうべき『寓話(ぐうわ)』(1954)、さらに『村』に次いで新興階級スノープス一族を扱う三部作『町』(1957)、『館(やかた)』(1959)、ヨクナパトーファ連作の最後を飾るメルヘン風な『自動車泥棒』(1962)などが続く。1962年7月6日、64歳で没するまでに、作者の構築するヨクナパトーファの世界は、読者の前に壮大な全容を現した。1949年のノーベル文学賞を、翌1950年に受賞。以後文化使節として日本(1955)を含む世界各国を訪れ、若い研究者や学生を相手に自作について論じた。彼のそうした行動は、全作品と同様、現代の人間の苦悩とその超克を真実に追求する、真摯(しんし)な、優れて芸術的な文学的努力の結実であったといえよう。
フォークナーの業績については、1960年代後半から、バージニア大学保管の多量の原稿その他の資料により、創作の秘密に迫る研究が活発になり、現在、作品と伝記的事実との関係の追求をはじめ、構造主義以後の新しい批評理論による美学的、哲学的解明が、世界的なレベルで進められている。
[大橋健三郎]
『『フォークナー全集』全27巻(1967~1997・冨山房)』▽『大橋健三郎他訳『新潮世界文学41・42 兵士の報酬他』(1970・新潮社)』▽『龍口直太郎訳『フォークナー短篇集』(新潮文庫)』▽『西川正身編『フォークナー』(1966・研究社出版)』▽『赤祖父哲二著『フォークナー――現代史を生きる』(1977・冬樹社)』▽『大橋健三郎著『フォークナー研究』全3巻(1977~1982・南雲堂)』
アメリカの小説家。ジョイスの流れをくむ斬新な小説技法を駆使すると同時に,土着的な人間と風土がはらむ問題を追求して,20世紀アメリカ小説の代表的傑作を多く生み出した。1897年9月南部ミシシッピ州北寄りの町に旧家の長男として生まれ,5歳のときに一家が移り住んだ郡役所所在地で州立大学のあるオックスフォードの町で育ち,晩年にいたるまでここを生活の本拠としたばかりでなく,この地方をモデルにしたいわゆる〈ヨクナパトーファYoknapatawpha物語〉の連作を書き続けた。高等教育はあまり受けず,文学の手ほどきは主として年長の友人フィル・ストーンから受け,イギリスの世紀末文学やフランス象徴詩に親しみ,初めはおもに詩作を試みた。第1次大戦末期にカナダのイギリス空軍に入隊したが,まもなく休戦で帰郷,文筆活動に専念,処女詩集《大理石の牧神》(1924)を出版した。1925年ニューオーリンズに赴いて,当時の著名作家シャーウッド・アンダーソンと交わり,帰還兵士の悲劇を扱った処女小説《兵士の報酬》(1926)を出版。短いヨーロッパ旅行ののち,風刺的な小説《蚊》(1927)を書いたが,やがて故郷をモデルとする架空のヨクナパトーファ郡の人間を描く連作を書きはじめた。
その第1作《サートリス》(1929)は,フォークナー自身の家族をモデルにしたサートリス家の物語で,南北戦争以来の苦悩を担ったサートリス家の人々,とくに帰還兵士の青年ベーヤードの破壊的な生活とその苦悩を描いた。これはそれほど実験的な作品ではなかったが,次作《響きと怒り》(1929)は,作者がいわば背水の陣をしいてあらゆる才能を賭けた稀有な実験小説で,ここに初めて彼は自己の尽きない創作の鉱脈を掘りあてた。この作品では,コンプソン家を背景に,土着的な主題が内的独白を主軸とする最も新しい方法で描きとられ,個別的な土地と家族の問題が普遍的な視野から鮮やかに浮彫にされている。そしてこのあとフォークナーは堰を切ったように,《死の床に横たわりて》(1930),《聖域》(1931),《八月の光》(1932),そして中期の傑作《アブサロム,アブサロム!》(1936)などを次々と発表した。これらの作品では,かつての技法と主題が深く歴史の相を帯びて,連作の世界がしだいに深まってゆくのが感じとられる。
第2次大戦前後はフォークナーにとって,経済的にもまた創作の上でも最も苦しい時期であったが,それでも《村》(1940),《行け,モーゼ》(1942)のような重要な作品を発表。やがて名声が高まり,50年にノーベル文学賞を受賞してからは生活も楽になったが,おりからの南部の人種問題などの困難な状況に囲まれながらつねに新しい創作を試み,現代のキリストを描く大作《寓話》(1954),《村》の続編《町》(1957)と《館》(1959),最後の作品《自動車泥棒》(1962)などを,死ぬまで書き続けた。56年日本を訪れた。彼の文学は,現代の問題を執拗にえぐり続けるその方法と迫力において,欧米のみならず日本を含む多くの国々の文学にも,大きな影響を与えている。
執筆者:大橋 健三郎
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1897~1962
アメリカの作家。ミシシッピ州出身で,この州の人々の生活を描き,『響きと怒り』(1929年),『サンクチュアリ』(31年)『アブサロム,アブサロム!』(36年)など南部人の深層に迫る多くの小説を発表。20世紀アメリカの最も偉大な作家と評価される。1950年にはノーベル文学賞を受賞した。
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…F.S.フィッツジェラルドは《偉大なるギャッツビー》(1925)その他の作品でジャズ・エージの夢が崩壊するさまを書き,ヘミングウェーは《陽はまた昇る》(1926)以下の作品において〈ハードボイルド〉と呼ばれる,タフ・ガイが非情に語るような文体を駆使して現代の空虚に生きる人間を示した。フォークナーも特異な文体家であるが,代表作《響きと怒り》(1929)などにより,南部社会の深層を〈意識の流れ〉の手法の開拓やトウェーン伝来の語り口を通じてみごとに剔出して見せた。ドス・パソスは《U.S.A.》(1930‐36)その他でアメリカの政治・社会の状況にメスを入れた。…
…夜の酒場でジーン・アーサーがピアノを弾き,ケーリー・グラントが歌う《ピーナッツ売り》のシーンは,その後のホークス映画(《リオ・ブラボー》1959,《ハタリ!》1962)の歌と笑いの宴のシーンの原型になっている。ハリウッド時代のウィリアム・フォークナーが脚本に協力し,また,リチャード・バーセルメスの妻の役で出演した当時まだ無名のリタ・ヘイワースが,スターにのし上がるきっかけとなった作品でもある。【柏倉 昌美】。…
…アメリカの小説家フォークナーの作品。1929年刊。…
…また〈男性アクション映画〉の巨匠といわれながら,《コンドル》ではリタ・ヘイワース,《脱出》(1944)ではローレン・バコール,《ピラミッド》(1955)ではジョーン・コリンズ,《リオ・ブラボー》ではアンジー・ディキンソンをスターにした〈女優づくりの名匠〉でもある。不遇だったころの作家ウィリアム・フォークナーをハリウッドに脚本家として招きいれ,《栄光への道》(1936),《脱出》《三つ数えろ》《ピラミッド》の脚本を書かせたことでも知られる(フォークナーはそのほかにも脚本を書いているが,その名まえがクレジットされているのは,ホークスの4作品だけである)。75年,アカデミー特別功労賞があたえられた。…
…アメリカの作家W.フォークナーの大部分の作品の背景となる架空の土地。ミシシッピ州北寄りの郡の名まえとされる。…
※「フォークナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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