日本大百科全書(ニッポニカ) 「フラウンホーファー」の意味・わかりやすい解説
フラウンホーファー
ふらうんほーふぁー
Joseph von Fraunhofer
(1787―1826)
ドイツの物理学者。バイエルンのシュトラウビングに貧しいガラス職人の子として生まれ、幼少のころからガラス磨きを手伝った。1798年両親を失い、ミュンヘンの鏡製造工場に年季奉公に出たが、ニグルJosef NigglとウチュナイダーJoseph von Utzschneider(1763―1840)にみいだされ、1806年彼らが創設した光学研究所に職人として入った。すでにガラス研摩に熟練していたフラウンホーファーは、スイスのガラス研究家ギナンPierre Louis Guinand(1748―1824)の指導で光学ガラス溶融の技術を習得し、1811年以降は研究所の指導にあたり、精密な光学装置の製作に貢献した。
脈理のない光学ガラスの製作を可能にし、レンズ計算に初めて三角追跡法を適用した。また精度の高い色消しレンズ製作のために、特定の色に対するガラスの屈折率を測定中、灯油ランプのスペクトルに輝線を発見した。1814年には太陽スペクトル中に暗線(フラウンホーファー線)を発見し、暗線が屈折率や波長測定の基準に使えることを示唆した。のちに回折格子を製作し、実際に波長の測定を行い、1821年と1823年に論文を発表した。当時の光の粒子説・波動説の論争のなかでは、彼の業績は注目されず、ブンゼン、キルヒホッフの時代まで持ち越された。優れた光学機器製作者として、天文台の屈折望遠鏡や太陽観測儀の製作にあたった。ガラス吹きがもとで呼吸器障害をおこし、39歳で死去した。
[高橋智子]