フーバー・モラトリアム(読み)フーバーモラトリアム(英語表記)Hoover Moratorium

百科事典マイペディア 「フーバー・モラトリアム」の意味・わかりやすい解説

フーバー・モラトリアム

1929年に始まった大恐慌に対処するため,1931年7月米国大統領フーバー提案で実施された債務支払猶予措置。仏・英などの対米戦債支払を1年間猶予する代りに,ドイツの仏・英などへの賠償支払も1年間猶予するものとし,各国同意を得て実行されたが効果はなかった。
→関連項目ドイツ賠償問題モラトリアムヤング案ローザンヌ会議

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フーバー・モラトリアム」の意味・わかりやすい解説

フーバー・モラトリアム
ふーばーもらとりあむ
Hoover Moratorium

1931年6月、アメリカの大統領H・C・フーバーが発した、すべての政府間債務の1年間支払い猶予宣言。29年10月からの世界大恐慌は、31年前半には中部ヨーロッパ諸国の金融恐慌に発展し、ドイツからは膨大な短期外資が流出した。ドイツは、賠償支払い不能と金融恐慌の危機に直面した。フーバーの目的は、おもにこのドイツ金融恐慌の防止にあった。しかし、その支払い猶予と、7月のイギリス・アメリカ・フランス各中央銀行の対ドイツ新規信用供与も、ドイツ金融恐慌を結局は抑止できず、まもなく金融恐慌はイギリスにも波及し、31年、世界恐慌国際金融市場瓦解(がかい)を伴ってますます激化した。

[紀平英作]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フーバー・モラトリアム」の意味・わかりやすい解説

フーバー・モラトリアム
Hoover Moratorium

第1次世界大戦の結果生じた戦債や賠償の支払いを大恐慌の経済危機もとで1年間延期することを決めたもの。ドイツ賠償問題は,1929年6月ヤング案により手直しされていたが,同年秋の経済恐慌勃発により,ドイツ経済は破局に面したため,アメリカの H.フーバー大統領は 31年6月賠償および戦債支払いの1年間の延期を宣言した。しかしこの措置もドイツ経済の破局を救えず,ドイツ諸銀行は倒産して金融恐慌の様相を深め,同年秋にはイギリスへ波及,金本位制度停止となり,世界的な金融恐慌に発展した。

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世界大百科事典(旧版)内のフーバー・モラトリアムの言及

【モラトリアム】より

…アメリカでも大不況時の33年2月,ミシガン州で取付け激化に対しモラトリアムを実施,取付けが各州に広がるに及んで3月には全国的なモラトリアムが行われた。また国際的モラトリアムでは,31年,賠償支払と国際的な資金引揚げに悩むドイツに対し,フーバー・アメリカ大統領はフランスの反対に抗して政府間債務につき1年間のモラトリアムを実施した(フーバー・モラトリアム)。【島 謹三】。…

※「フーバー・モラトリアム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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