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ブルボン家 ブルボンけBourbons

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルボン家
ブルボンけ
Bourbons

1589~1792,1814~48年フランスを,1700~1808,14~68,74~1931年スペインを統治した王家。ヨーロッパ最大の宗主権をもっていた家系で,名称はブルボン・ラルシャンボール城とその最初の所領ブルボネに由来する。 11世紀初頭にアデマールに始り,1272年に女性相続人がカペー家のフランス王ルイ9世 (聖王) の子クレルモン伯と結婚し,その子ルイが 1327年に初代ブルボン公家を創設。 1527年本家に後継者がいないため断絶したが,分家でフランソア1世の姪ジャンヌ・タルブレが相続し,その子アンリがナバール (ナバラ) 王となり,89年アンリ4世 (在位 1589~1610) としてブルボン朝を開いた。以後ルイ 13世 (在位 10~43) ,ルイ 14世 (在位 43~1715) ,ルイ 15世 (在位 15~74) ,ルイ 16世 (在位 74~93) と続きフランス絶対王政を実現した。フランス革命によりルイ 16世が処刑 (93) され王朝は中断。王政復古によりルイ 16世の2人の弟ルイ 18世 (在位 1814~24) とシャルル 10世 (在位 24~30) が即位したが,七月革命により,代ってオルレアン (公家) のルイ・フィリップ (在位 30~48) が即位した。またスペインではルイ 14世の孫アンジュー公 (フェリペ5世〈在位 1700~46〉) を始祖とし,フェルナンド6世 (在位 46~59) ,カルロス3世 (在位 59~88) ,カルロス4世 (在位 88~1808) ,フェルナンド7世 (在位 08,14~33) ,イサベル2世 (在位 33~68) ,アルフォンソ 12世 (在位 74~85) のあと,1931年にアルフォンソ 13世 (在位 86~1931) が退位するまで続いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルボンけ【ブルボン家】

フランスの王家。18世紀以降は,姻戚関係によりスペイン,両シチリア(ナポリ)などでも王家となった(図)。もとはブルボネ地方の古い領主の家系であったが,1272年女性相続人がカペー家のフランス国王ルイ9世の第6子クレルモン伯ロベールと結婚,その子ルイが1327年にブルボンBourbon公家を創設した。ブルボン公家は王国の心臓部に広大な所領を有し,強い独立性を保っていたが,シャルル・ド・ブルボンが当主のとき,反逆罪を口実として国王フランソア1世により所領を没収された(1523)。

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世界大百科事典内のブルボン家の言及

【ユリ(百合)】より

…スロバキア人の間でもユリ根を刻んで煮たものは陣痛をやわらげるといってよく利用された。 さて,ユリはフランスのブルボン家の紋章になっているが,その由来はこうだ(ただしブルボン家の紋花fleur‐de‐lisをユリではなくアイリスと解する説もある)。フランク王家の開祖クロービス(在位481‐511)がアラマン族と戦い,苦戦したときのことである。…

※「ブルボン家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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