出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
オルレアン公、フランス王(在位1830~48)。父は進歩的貴族としてフランス革命期に活躍し、恐怖政治時代に刑死したフィリップ・エガリテ(平等公)Philippe Égalité(正称Louis Philippe Joseph, duc d'Orléans、1747―93)である。彼自身も革命時にはジャコバン・クラブに入り、革命戦争にも参加したが、1793年3月ネールビンデンの敗戦後、司令官デュムーリエの反革命陰謀に加担して失敗、以後約20年間ヨーロッパ各地およびアメリカで亡命生活を送った。
1814年、王政復古とともに帰国し、亡命以来国家に没収されていた広大な所有地の返還を受けた。彼は復古王政期から自由主義的反政府派の後援者として知られていたが、30年の七月革命によりラフィットらのオルレアン派ブルジョアに推されて「フランス人の王ルイ・フィリップ1世」として即位、7月王政を始めた。王は初め中道左派のラフィットに政府をゆだねたが、31年3月以降ペリエ、ブロイ公ら保守派の政治家を登用して国内秩序の確立、大ブルジョアの寡頭支配の安定化に努めた。当時のフランスでは議会政治の慣行が成立しつつあったが、王はイギリス風の立憲君主であることに満足せず、自ら国政に指導的役割を果たそうとして内閣、議会としばしば対立し、39年の下院選挙では王の個人支配に反対する野党連合が勝利を収めた。しかし40年以降、内閣の中心ギゾーの全面的協力と議会多数派の支持のもとに、国内ではいっさいの政治的・社会的改革の拒否、対外的にはイギリスとの協調政策という自己の政治路線を強力に推進することができた。しかしこの頑迷な保守政治は中小ブルジョア、労働者らの不満を激化させ、ついに48年2月パリに革命的騒乱が勃発(ぼっぱつ)、7月王政は崩壊する(二月革命)。王は首相ギゾーを解任して事態を収拾しようとしたが、時すでに遅く、王位を孫パリ伯に譲ってイギリスに亡命、2年後の50年8月26日同地で没した。
[服部春彦]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
フランス最後の国王。在位1830-48年。オルレアン公フィリップ・エガリテの長男。百科全書派(アンシクロペディスト)の影響からフランス革命に同調し,国民軍やジャコバン・クラブに加入,また連合国軍との戦いに加わり各地を転戦したが,恐怖政治の出現で亡命した。王政復古後はブルボン王党派に排斥され,フランスへの最終的な帰国は1817年となった。七月革命が実現すると,ラフィットら銀行家の支持で王位に就いたが,民衆運動を抑圧するとともに,商工業の生み出す富が銀行家の手に独占される傾向を促し,そのため〈株屋の王〉などと呼ばれ,鋭い批判を浴びた。二月革命でイギリスに亡命,以後この王家の支持者はオルレアニストと呼ばれた。
執筆者:喜安 朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1773~1850(在位1830~48)
オルレアン家から出て七月革命で王位についたフランス国王。フランス革命中は亡命し,復古王政で帰国すると上層市民の自由主義者たちと交わり,彼らの支持で七月王政をしいたが,二月革命で追放され,イギリスで死んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
1959 -
フランスの演奏家。
本名オークレー フィリップ。
最初パリで哲学を学ぶが、1983年頃からポップの演奏を始め、ベルギーのクレプスキュール・レーベルに認められグループでレコードを発表、その後渡英、エル・レーベルからソロでデビュー。メロディーを重視した爽やかなポップスで日本でも人気を得る。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…オルレアン王党派は王政復古期には自由主義的反対派として政府と対立し,1830年の七月革命によって政権の座についた。七月王政は,オルレアン公ルイ・フィリップ(先のオルレアン公の子)を国王とし,大商人,自由主義的大貴族,法律家,ナポレオン帝政期の貴族,大学教授などの名士に支持基盤をおいていた。オルレアン王党派は社会的地位と富におけるエリート集団をなしており,政治的には中庸を旨とし,無政府主義にも専制主義にも反対し,民主主義と同じく家柄の特権に対しても敵意を抱いていた。…
…1830年の七月革命で成立したフランスの王政。オルレアン朝のルイ・フィリップを国王とし,48年の二月革命で第二共和政が実現するまで続いた。社会的には,ようやく軌道にのり始めた資本主義的工業化と,伝統的生活様式や生活習慣との間の緊張が激化してきた時代である。…
…少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。その契機となったのは洋梨風の国王を貪欲な巨人に見たてた《ガルガンチュア》(1830)で,このため6ヵ月の入獄と罰金が科された。…
※「ルイフィリップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新