ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
イラン・イラクを支配したイラン系王朝(932~1062)。ダイラム地方(カスピ海西岸の山岳地帯の古名)出身の、ブワイフ家の三兄弟は、ズィヤール朝に仕えながら勢力を伸ばし、長男アリーがイスファハーン、ハサンがジバール、末弟のアフマドがケルマーン、フーゼスターンで独立。946年にアフマドはバグダードへ入城し、アッバース朝のカリフから大アミール(アミール・アルウマラー)に任命され、ムイッズ・アッダウラ(王朝の強化者)の称号を得、事実上の支配者となった。10世紀後半のアドゥッド・アッダウラ時代が最盛期で、パフラビー語を刻んだコインが鋳造されるなど、イラン的伝統が強調された。宮廷公用語はアラビア語であり、イスファハーニーによる『アガーニー』をはじめとするアラブ文学の名作が書かれた。軍事力の根幹はダイラム人とトルコ人グラーム(マムルーク)であり、両者の対立、イクター保有者と総督との反目、同族間の内紛から衰退し、セルジューク朝の進出以前に実権を失っていた。
[清水宏祐]
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…首都はバグダード。ただし,アッバース家のカリフが宗教上・政治上いずれにおいても最高の指導者・権力者として統治しえたのは,せいぜいブワイフ朝がバグダードを攻略する946年までで,その後はごく短期間を除いて政治上の実権を失い,宗教上の権威のみを保持したにすぎない。したがってアッバース朝の性格も,10世紀半ばを境にして大きく変わっており,実質的な国家としてのアッバース朝を取り上げる場合には,同朝の前半期の約200年間が問題にされる。…
※「ブワイフ朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新