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フランス・ロココの画家。パリ生れ。父は装飾画工,版画商。ルモアーヌF.Lemoyneに学び,ワトーの絵の彫版,挿絵制作で生計を立てる。1724年ローマ賞を得て27-31年イタリアに留学し,ギリシア・ローマ神話に親しみ,光と色彩の感覚を学ぶ。35年よりベルサイユ宮殿の〈王妃の間〉の装飾を手がける。その前年《ルノーとアルミダ》でアカデミーに入り,37年にはアカデミー教授,55-65年ゴブラン制作所所長,65年王の首席画家となる。とくに40-65年には,王とポンパドゥール夫人の庇護のもとに,宮殿(ベルビュ宮殿,オテル・ド・スービーズなど)やオペラ座の装飾絵画,タピスリー下絵など,多方面で旺盛な制作活動が行われた。彼の芸術の神話的主題,世俗的官能性,豊麗な装飾性の合一は,ルイ15世時代のすべての装飾芸術を作り上げる基調となった。最晩年は視力を弱め,また,ディドロたちの批判を受ける。19世紀にゴンクール兄弟たちにふたたび認められ,またその芸術はルノアールらに嘆賞された。
執筆者:中山 公男
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フランスの画家。パリに生まれ、同地に没。画家の父に絵の手ほどきを受け、のちにルイ15世の首席画家となるフランソア・ルモワーヌに師事する。1723年ローマ賞を獲得。27年から31年までイタリア滞在、装飾画家ティエポロの影響を受ける。帰国後の34年『ルノーとアルミード』(ルーブル美術館)によってアカデミー会員に迎えられた。彼は、ワトーを受け継ぎフラゴナールに継承されていくフランス・ロココ美術の代表者で、王朝趣味の甘美で華麗な壁面装飾を得意とした。神話画、寓意(ぐうい)画、肖像画のほか、田園風景画や風俗画も描き、タペストリーや陶器の図柄、演劇や歌劇の舞台装飾も手がけている。また、傾倒していたワトーの素描をもとに模刻版画集も出版している。当時流行した中国趣味(シノワズリー)の第一人者としても名高い。ルイ15世の寵姫(ちょうき)ポンパドゥール夫人の庇護(ひご)を受けて全盛を極め、65年には国王の首席画家となり、同時にアカデミーの会長に就任した。同時代の評論家ディドロは、ブーシェの色彩と構図と対象の豊麗さに感嘆しながらも、そこに真実の追求がないことを批判している。代表作には、スービーズ邸の壁画をはじめ、『ビーナスの凱旋(がいせん)』(1733・ストックホルム美術館)、『オダリスク』(1743・ルーブル美術館)、『ポンパドゥール夫人』(1758・ロンドン、ウォーレス・コレクション)などがある。
[染谷 滋]
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…なお,ブリゼ生地は水が入るため粘りがあり焼き上がりがくずれにくいので,水気の多い果物を詰めて焼く場合に向いており,シュクレ生地はもろく崩れやすいので,まず生地だけを先に焼いてから後で詰物をする場合に適する。
[パイ料理]
折込みパイ生地を使う料理ではブーシェbouchéeやアリュメットallumetteが,オードブルによく用いられる。ブーシェは生地を直径5cmの円形に抜き,うち半数はさらに少し小さい丸型で抜いてリング状にし,溶卵を塗ってこの両者を重ねて焼いてケースをつくり,中に煮込物やあえ物を詰める。…
…フランスではロココ様式のフェート・ギャラント(雅宴画)の最盛期であった。ワトー,ランクレ,ブーシェは貴族の園遊会,あいびき,貴婦人と朝の化粧などをテーマに,上流階級の風俗のよき記録者となった。他方,シャルダンは《市場帰り》(1739)などで,ロココの貴族的な風俗画に背を向け,中産階級の地味な生活感情を謳歌した。…
※「ブーシェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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