ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレトリウス」の意味・わかりやすい解説
プレトリウス
Pretorius, Andries
[没]1853.7.23. トランスバール,マガリースバーグ
ケープ植民地 (現南アフリカ共和国) の指導者。イギリスの支配を嫌ったボーア人がケープ植民地から南アフリカ北部へ大移動したグレート・トレックを主導した。フルネーム Andries Wilhelmus Jacobus Pretorius。その後ナタール地方,さらにはトランスバール地方で軍事的・政治的に多大な影響力をふるった。ケープ植民地の辺境地帯でいくつかの戦闘に加わったあと,1837年に移動を開始。 1838年ズールー人の首長ディンガネが移動部隊のリーダー,ピート・レティーフとその部隊を殺害すると,500人の特殊部隊を編成してズールー人と戦い,1万人の大部隊を破った (血の河の戦い) 。 1842年イギリスがナタール地方のダーバンを占領,プレトリウスは総司令官の座を辞した。 1847年再びさらなる辺境の地であるトランスバール地方への移動を決意し,4人の総司令官の一人として,イギリスとの交渉で指導的な役割を果たした。交渉の結果,1852年のサンドリバー協定でトランスバール共和国の成立が承認された。さらにオレンジ自由国の独立を承認させようと迫ったが,イギリスがブルームフォンテーン協定 (1854) で独立を承認したのは,プレトリウスの死から7ヵ月後のことだった。
プレトリウス
Prätorius, Stephan
[没]1603.5.5.
ドイツのルター派牧師。 1565年以来ザルツベデルの牧師をつとめる。大学時代にメランヒトン学派の影響を受け,ルターの立場に立って,イエズス会とカルバン主義に反対し,説教や魂の浄化,異教徒伝道といった実践的,教会的な問題に取組んだ。また清浄な生活態度の強調は,J.アルントや P.J.シュペーナーの先駆となった。主著"Geistliche Schatzkammer der Gläubigen" (1636) 。
プレトリウス
Praetorius, Michael
[没]1621.2.15. ウォルフェンビュッテル
ドイツの作曲家,音楽理論家。フランクフルトアンデアオーデルで音楽を学び,ハルバーシュタットの教会のオルガン奏者,楽長となり,1612年以降ウォルフェンビュッテルの宮廷楽長をつとめた。主作品は 1200曲以上のコラール編曲を含む『ムーサ・シオーニア集』 (1605~10) ,舞曲集『テルプシコーレ』 (12) 。主著『音楽大全』 Syntagma Musicum (3巻,14~20) 。
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