翻訳|proportion
部分どうしないし部分と全体との関係。英語としてのproportionは割合、比例、均衡を表し、学問的には数学、人類学などの対象でもあるが、ここではとくに美学・芸術論の問題として述べることにする。この語は語源的には「それぞれの持ち分に応じて」という意味のラテン語pro portioneにさかのぼるが、学問的ラテン語においてはギリシア語アナロギアanalogíaの訳語として理解されており、プロポーションの前史としての意味をもつ。またギリシア語、ラテン語のsymmetria、ラテン語のcommensuratioもプロポーションと切り離しにくい隣接概念である。
[津上英輔]
古典古代のギリシア人は建築、彫刻、絵画において、美の規範(カノン)を数学的比例関係の問題として理解し、作品制作のなかで理想的比率を追求した。その際、黄金分割比に代表される建築・彫刻上の規範的比率は、人体のプロポーションから導き出されたものであった。古代の建築論をまとめて今日に伝えたウィトルウィウスVitruvius(前1世紀ごろ)は、プロポーション概念に相当するsymmetria, eurythmiaの二つを、建築の六契機のうちに数えている(『建築十書』De architectura libridecem,I)。プロポーション概念は哲学的文脈でも、古来より美の問題とのかかわりで論じられるのが常であり、この思潮は数を世界の構成原理と考えるピタゴラス学派の世界観に根ざしていると思われる。事実彼らは「秩序と均衡は美しく有用である」と考えていたと伝えられるが(デールス・クランツ編『断片』D4)、この場合均衡とはあくまでも数学的なものであった。プラトンは彼らの基本的観念を受けて「程よさと均衡は美と徳とにつながる」(『ピレボス』)とし、さらに進んで図形の理想的な比率を定めようとしたとみなされて(二つの正方形について『メノン』、三角形の底辺と斜辺について『ティマイオス』)、後世の建築家に具体的な影響を残した。アリストテレスもやはりピタゴラス的観念を部分的に受け継ぎながら、いっそう現象に即した考察を加えて、美の契機として秩序、限定とともに均衡をあげている(『形而上(けいじじょう)学』第13巻)。しかしプロティノスは諸部分の均衡が美をもたらすことを認める一方、それが部分から構成されない単一な事象には適用されえないことを指摘して、プロポーション理論の有効性を限定した(『エンネアデス』第1、6巻)。
中世になるとプロポーション概念は量的意味を保持しながら、他方では質的意味がいっそう強調されることがある。アウグスティヌスにおいて美の唯一の契機とされたプロポーションはまったく量的なものであったが(『秩序論』第2巻)、トマス・アクィナスが美を、見る者の感覚を楽しませるものと定義したうえで、「美は正しい比率proportioに存する」と述べるとき(『神学大全』第1巻)、このプロポーション概念は量的・数学的意味を包越してきわめて形而上学的となっている。一方絵画、建築は、中世でも依然幾何学的プロポーションを重視して構成されたが、そこには世界の秩序を体現するものという形而上学的あるいは宗教的意味づけが加えられた。
近世の模倣論的美学・芸術論においても、美はプロポーション概念と不可分の関係にあった。ただし完全な比率としてア・プリオリに唯一決定されたものを考えるか(たとえばアルベルティ)、多数の比率に対応してそれぞれの美を認めるか(たとえばレオナルド、デューラー)は一致しない。それに対して、美は対象そのものにではなく、それが人間に与える快にこそあると考えるデカルトにとって、プロポーションとは快を喚起すべく、対象と感覚器官の間に存すべき契機であった(Compendium musicae)。普遍的法則を探る古典的プロポーション理論は、個人の自由な直観を重視する近代的な創造の美学においては、一部の形式主義的方向を除けば、考察の中心から外れている。しかし現代でも、たとえばル・コルビュジエやモンドリアンのように、プロポーション理論を創造の支柱とする芸術家がいるという状況も見逃しがたい。
[津上英輔]
『W. TatarkieviczHistory of Aesthetics, I (1970, Mouton‐PWN, Warszawa)』
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