ヘイ(読み)へい(英語表記)John Milton Hay

日本大百科全書(ニッポニカ)「ヘイ」の解説

ヘイ
へい
John Milton Hay
(1838―1905)

アメリカの詩人、ジャーナリスト、政治家。インディアナ州の農村で生まれ、ブラウン大学を卒業、南北戦争中リンカーン大統領の秘書を務めた。その後パリ、ウィーンマドリードのアメリカ公使館勤務を経て、帰国後『ニューヨークトリビューン』紙論説委員(1870~74)、78年国務次官補。70、80年代に多くの詩、小説、歴史(リンカーン伝)を書いた。マッキンリー大統領により駐英大使(1897~98)に任命され、アメリカ・スペイン戦争に際してイギリスとの友好関係を深め、国務長官(1898~1905)となり、中国に関する門戸開放通牒(つうちょう)を発し(1899、1900)、またヘイ‐ポンスフォート条約(1901)を結び、パナマ運河建設に道を開いた。

[高橋 章]

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百科事典マイペディア「ヘイ」の解説

ヘイ

米国の政治家。共和党。リンカンの秘書を務めたのち,1898年―1905年マッキンリー,T.ローズベルト政権の国務長官。1899年に中国に関する門戸開放原則を唱え,1900年には中国の領土的・行政的保全の原則を主張し,米国の極東政策の基本原則を作った。→門戸開放主義

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世界大百科事典 第2版「ヘイ」の解説

ヘイ【John Milton Hay】

1838‐1905
アメリカの政治家。インディアナ州生れ。ブラウン大学卒業後弁護士となり,郷党の先輩リンカン大統領の秘書を務め,リンカンの死後,外交官としてパリ,ウィーン,マドリードに駐在。帰国後《ニューヨーク・トリビューン》紙副編集長として活躍。その後国務次官,駐英大使を経て,1898年から約7年にわたり,W.マッキンリー,T.ローズベルト両大統領のもとで国務長官を務める。その間1899年にはヘイ覚書によって中国への門戸開放主義を提唱し,1901年はヘイ=ポンスフォート条約を締結しパナマ運河建設の道を開くなど,アメリカ型の経済主義的な対外膨張政策の原型をつくった。

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世界大百科事典内のヘイの言及

【パナマ】より

…このようななかで,パナマは03年11月3日に独立した。合衆国は新政府を独立の3日後に承認し,パナマの全権大使と称するフランス人ビュノー・バリーヤP.J.Bunau‐Varilla(1860‐1940)と合衆国の国務長官ヘイJ.M.Hay(1838‐1905)の間で11月18日パナマ運河条約が調印された。この条約により,成立したばかりのパナマ共和国は運河地帯で二分されることになった。…

【パナマ】より

…このようななかで,パナマは03年11月3日に独立した。合衆国は新政府を独立の3日後に承認し,パナマの全権大使と称するフランス人ビュノー・バリーヤP.J.Bunau‐Varilla(1860‐1940)と合衆国の国務長官ヘイJ.M.Hay(1838‐1905)の間で11月18日パナマ運河条約が調印された。この条約により,成立したばかりのパナマ共和国は運河地帯で二分されることになった。…

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