ヘッセ(読み)へっせ(英語表記)Hermann Hesse

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヘッセ(Hermann Hesse)
へっせ
Hermann Hesse
(1877―1962)

ドイツの小説家、詩人。[藤井啓行]

環境・青春時代

ドイツ南西部シュワルツワルトの森に囲まれ、ナーゴルト川に沿う小さな古い町カルフに7月2日生まれる。この町の流れに架かる石の橋、その上の小さな礼拝堂、昔の石畳が残る広場、これらすべてが、ヘッセの作品のなかに繰り返し描かれている。14歳のとき、父の意思でマウルブロンの神学校に入学。しかし、すでに将来作家になろうと志していた少年には、規則ずくめの生活の強制が耐えきれず、7か月後にはついに自由を求めて脱走し、のちに、その体験をもとに『車輪の下』(1906)を書いた。続いて入った高等中学校(ギムナジウム)も長続きせず、結局、学校生活は打ち切って、さまざまな職業を経験したのち、18歳でチュービンゲンの書店に定職を得た。ここで落ち着きをみいだして仕事に励むとともに、孤独な余暇には、もっとも多くの時間を読書と創作に向けた。書店員としての定職の場は、その後スイスのバーゼルに移る。[藤井啓行]

作家的成功

1904年『ペーター・カーメンチント』(邦訳『郷愁』『青春彷徨(ほうこう)』)の成功で作家生活に入った彼は、ピアニストのマリーア・ベルヌリと結婚し、ボーデン湖畔の農漁村ガイエンホーフェンに住居を定めた。ここでの8年間の生活のなかから、『車輪の下』、音楽家の諦念(ていねん)を描く『ゲルトルート』(1910。邦訳『春の嵐(あらし)』)や、多くの短編集が生まれた。だが、夫人との間にしだいに不和が高じ、結局は効果がなかったが、なんとか危機の打開を図ろうとして1911年にアジア旅行を試みた。敬虔(けいけん)なプロテスタントであった両親の家系は、いずれもインド伝道に深いかかわりをもち、その家庭には東洋的雰囲気が濃厚で、ヘッセも幼いころからアジアへの関心が強かったのである。この旅行から帰ってのち、翌1912年にはスイスの首都ベルンの郊外に移り住み、芸術家夫妻の結婚生活の破局を扱う『ロスハルデ』(1914。邦訳『湖畔のアトリエ』)や、放浪者を主人公に、しみじみとした情緒にあふれる『クヌルプ』(1915。邦訳『漂泊の魂』)などを発表した。[藤井啓行]

マスコミの総攻撃

1914年の第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともに、物心両面で極度の危機に直面しながら、ベルンのドイツ領事館に自ら申し出て、ドイツ人捕虜の慰問のため、文庫の発行や新聞の編集などの奉仕事業に、戦時中の全期間を通じて没頭した。他方、開戦直後、ドイツで学者や芸術家たちまでが好戦的な論陣を張っているのに心を痛め、警告の一文を『新チューリヒ新聞』に発表したため、ドイツの文壇やジャーナリズムから総反撃を受けた。その際、例外的に彼を弁護した少数者のなかにフランスのロマン・ロランもいて、ヘッセの「真にゲーテ的な態度」を賞賛してくれたことは、心の大きな慰めとなった。[藤井啓行]

内面への道――東洋思想への接近

戦時中の過労、父の死、三男の重病、妻の精神病の悪化などのためヘッセはひどいノイローゼになり、1916年からたびたびユング派の精神病医の治療を受けた。それが精神分析学に親しむ機会を与え、その体験から『デミアン』(1919)が生まれた。これを転機にして彼の作風には変化がみられ、内面への道を目ざす求道者的な性格が顕著になって、西洋文明への、東洋思想(その重点は、インドからしだいに中国、ことに老荘思想に移行)による救済が、大きな特徴をなした。この時期の最初の一頂点が、東西の世界観・宗教観を自己の体験のなかに融(と)かし込んだ『シッダルタ』(1922)である。大戦終結の翌年1919年から南スイスのルガノ湖畔のモンタニョーラに定住していたヘッセは、1923年にはスイス国籍を得、また同年、以前から別居中の妻と離婚した。その後ふたたび心身ともに重大な危機に陥り、この苦悩のもとに発表したのが『荒野(こうや)のおおかみ』(1927)で、主人公ハリー・ハラーの精神の分裂をナチス興隆の時代との関連のなかで描き、ヘッセ自身の内面の苦悩の強烈な告白となっている。しかしこれに続く『ナルチスとゴルトムント』(1930。邦訳『知と愛』)では、精神と官能との美しい調和への試みを展開し、1931年に結婚をして死ぬまで生活をともにしたニノン夫人との安定した晩年の生活をうかがわせる。ナチス時代には、「好ましくない作家」として、ドイツ国内での著書の出版は不可能となったので、大作『ガラス玉演戯』(1943)はスイスで出版した。第二次世界大戦終結後、1946年のノーベル文学賞ほか数々の賞を贈られ、1962年8月9日にモンタニョーラの自宅で静かに亡くなった。その墓は、自宅から少し下の、サン・アボンディオ寺院の墓地にある。[藤井啓行]

作品の特徴

初め「新ロマン派」の作家として迎えられたヘッセの作品は、実は、現代において「真の人生はどのように生きるべきか?」という問題にこたえるために書き綴(つづ)られたもので、人間の個性の尊重に最大の重点が置かれている。現在ヘッセは、ドイツ、日本、アメリカをはじめ広く世界で読まれているが、彼を知るのには、多数のエッセイや書簡類も重要である。資料館としては、マールバハのシラー民族博物館やベルンの州立博物館などが著名。[藤井啓行]
『高橋健二訳『ヘッセ全集』全10巻(1982~1983・新潮社) ▽高橋健二著『ヘルマン・ヘッセ――危機の詩人』(1974・新潮社) ▽B・ツェラー著、井原恵治訳『ヘッセ』(1981・理想社) ▽滝沢寿一・井手賁夫・小島公一郎編『ヘルマン・ヘッセをめぐって――その深層心理と人間像』(1982・三修社)』

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