20世紀アメリカの代表的小説家。7月21日シカゴ郊外の町オーク・パークに生まれた。医師である父の釣りと狩猟の野外趣味と、音楽・絵画をよくした母の芸術的才能を受け継いだ。高校卒業後、大新聞『カンザス・シティ・スター』紙の記者となり、つねに事件の現場に居合わせようとする生き方をこのときから示し、同時にむだのない文章を学ぶ有益な機会を得た。1918年、赤十字要員に応募して第一次世界大戦に参加、イタリア戦線で重傷を負った。ヘミングウェイの人生観を決定的に変える死の体験であった。ミラノの病院に入院、看護婦アグネス・フォン・クロウスキーと恋愛し、これらの経験がのちに『武器よさらば』(1929)の題材となった。1919年に帰国、戦傷による不眠症に悩まされながら創作を始め、トロント市に出て新聞記者を勤めたあと、シカゴで作家S・アンダーソンと知り合い影響を受けた。
1921年、8歳年上のエリザベス・ハドリー・リチャードソンと結婚、『トロント・スター』紙特派員としてパリに赴き、ギリシア・トルコ戦争などの報道にあたった。その間パウンド、スタイン、ジョイスらに接して当時のモダニズム文学に触れながら文学修業をした。個人的体験に基づいて簡潔な真実の文章を書く修練を重ね、のちに多くの作家に影響を及ぼしたいわゆるハードボイルドの文体をつくりあげた。1923年『三つの短編と詩10編』を処女出版し、翌年に小品集『われらの時代に』(パリ版)を発表、これに他の短編を加えた『われらの時代に』(1925、ニューヨーク版)を出した。暴力的な世界で成長する作者の分身的主人公の体験を鮮明かつ暗示的に描いた作品群を中心としている。1926年、アンダーソンとスタインを風刺した『春の奔流』のあと、いわゆる「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」の生態と精神を活写した長編『日はまた昇る』を発表、一躍世に認められた。1927年ハドリーと離婚、『ボーグ』誌記者ポーリン・プファイファーと結婚、翌年フロリダ半島先端の島キー・ウェストに居を定め、『武器よさらば』を完成し、これによって作家的地位を確立した。
ヘミングウェイは、パリ時代から親しんでいたスペインの闘牛に死の悲劇的儀式と行動の規範をみいだし、その該博な知識と死の哲学を優れた闘牛案内書『午後の死』(1932)にまとめた。アメリカでもメキシコ湾流の大魚釣り、西部山岳の狩猟に打ち込み、アフリカの猛獣狩りにも出かけ、狩猟紀行的小説『アフリカの緑の丘』(1935)を書いた。このあともほとんど生涯にわたって野性的行動人としてアメリカ的文化英雄であり続けた。
不況下、社会的問題に強い関心が向けられた1930年代という時代に、反政治的個人的関心を追求していたヘミングウェイも、1936年スペイン内戦が勃発(ぼっぱつ)すると反ファシズムの立場から政府軍に資金を援助し、通信社の特派員として内乱を報道し、記録映画『スペインの大地』の製作に協力するなど積極的な行動をみせた。個人主義的姿勢からの一定の脱却は、貧富の対立のなかで協調に目覚める一船長を描いた『持つと持たぬと』(1937)に未消化な形で表れたが、スペイン内戦を背景とした『誰(た)がために鐘は鳴る』(1940)ではより鮮明に表明されている。『第五列』は戦乱のマドリードで1937年に書かれた同傾向の戯曲である。
1940年ポーリンと離婚、作家マーサ・ゲルホーンと結婚、キューバのハバナ近郊に転居した。第二次世界大戦中は私有船を改装してドイツ潜水艦の探索にあたるなどしたが、1944年に従軍記者としてヨーロッパに渡り、このとき『タイム』誌記者メアリー・ウェルシュと知り合い、マーサと離婚、1946年に結婚した。戦後、イタリアを舞台に初老の陸軍大佐の愛と死を描いた『河を渡って木立の中へ』(1950)を発表したが不評。しかし次作『老人と海』(1952)では、老漁夫の孤独な闘いを通して「打ちのめされても敗れない」人間の尊厳を描き上げ、これによってピュリッツァー賞と1954年ノーベル文学賞を受賞した。1954年アフリカ旅行中に二度の飛行機事故で重傷を負う。1960年アイダホ州のケチャムに移住したが、この前後から長年の不摂生とたび重なる負傷によって健康を損ね、強度の神経衰弱に陥り、再三の自殺未遂のあと、1961年7月2日朝、愛用の猟銃で自殺し、世界中を驚かせた。
ヘミングウェイは短編の名手で『われらの時代に』のほかに短編集として『女のいない男たち』(1927)、『勝者よ、何も取るな』(1933)があり、『第五列と最初の49短編』(1938)にほぼ集大成されている。『殺し屋』『キリマンジャロの雪』『フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯』などが代表作。
遺作として、パリ時代の回想記『移動祝祭日』(1964)、キューバ時代の作者自身をモデルにした『海流の中の島々』(1970)、若い作家夫妻に同性愛の女性を絡ませた『エデンの園』(1986)がある。ほかに大冊の『書簡集』(1981)、88編の詩を収めた『詩集』(1979)も出版されている。
[武藤脩二]
ヘミングウェイは、アメリカ文学史上、重要な位置を占める短編小説を、完成の域にまで高めた作家の一人として記憶される。
三つの短編と詩10編 Three Stories and Ten Poems(1923)
パリで刊行された処女短編集。『ミシガン湖畔』は、村の男女の交情をナイーブに描いたもので、ヘミングウェイ文学の特色を端的に示している。ほかの2編『季節はずれ』『ぼくの親父(おやじ)』は次の短編集『われらの時代に』に再録されたが、『ミシガン湖畔』は検閲を恐れる出版社により削除された。
われらの時代に In Our Time
戦場や闘牛場など暴力の支配する場面を描く短編18編を収めるスケッチ集を1924年、パリで出版。翌年、前記2作品ほかを加えた同名の短編集をニューヨークで出版。ヘミングウェイの短編のいくつかは、少年ニック・アダムズの成長を跡づける連作として読むことができるが、本書はシャーウッド・アンダーソンの代表作『ワインズバーグ・オハイオ』の形式に倣うユニークな作品集である。人間の生と死を同時に目撃して衝撃を受ける少年ニックの話『インディアン部落』、同じくニックの目からみた両親の不和を描く『医師とその妻』など8編を収録。
女のいない男たち Men Without Women(1927)
めめしいことを悪徳とする非情な世界を描く作品『敗れざる者』『5万ドル』のほか、名作『殺し屋』など14編で構成。『殺し屋』は殺人が職業として行われる世界があることを知って衝撃を受ける青年の話。
勝者よ、何も取るな Winner Takes Nothing(1933)
14の短編からなる。ニック・アダムズものは『死者の博物誌』『人こそ知らね』、そして『父と子』で完結する。ヘミングウェイの眼(め)は人生の敗残者にも向けられ、自殺に失敗する老人の物語『清潔で照明のよいところ』や、売春婦の純情をテーマにする『世の光』も収録。
第五列と最初の49短編 The Fifth Column and the First Forty-Nine Stories(1938)
ヘミングウェイの短編の集大成。新しく加えられた作品には、死の床にある作家の過去への自嘲(じちょう)的な回想と幻影をつづった『キリマンジャロの雪』、金持ちのアメリカ人夫婦の生活に対する辛辣(しんらつ)な風刺を込めた『フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯』などの傑作がある。
[斎藤忠利]
『佐伯彰一他訳『ヘミングウェイ全集』全10巻(1973~74・三笠書房)』▽『カーロス・ベーカー著、大橋健三郎・寺門泰彦監訳『アーネスト・ヘミングウェイ』Ⅲ(1974・新潮社)』▽『佐伯彰一著『書いた、恋した、生きた』(『研究社選書7』1979・研究社出版)』▽『佐伯彰一編『ヘミングウェイ』(『20世紀英米文学案内15』1966・研究社出版)』▽『今村楯夫著『ヘミングウェイ』(『英米文学作家論叢書19』1979・冬樹社)』
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