イギリスの発明家。多くの発明で工業界に貢献し、とくに溶鋼の大量生産法である転炉法を発明して、製鉄業に革命をもたらした。ハートフォードシャー州のチャールトンに生まれ、父の経営する活字鋳造所で独学で発明の才を磨いた。事業をロンドンに移した父とともに上京し、以来、独立独歩の発明家としてたった。それまで黒鉛塊(かい)から名人芸で切断製造されていた鉛筆の芯(しん)を粉の圧縮で製造する方法、純粋な光学レンズの製造法、ガラスの連続圧延法、絵の具用青銅粉の大量生産法などで発明家としての地歩を固めたのち、1853年に勃発(ぼっぱつ)したクリミア戦争に刺激されて大砲の材質の改良を志し、製鉄法を研究した。それまでの製鉄法では、溶鋼はるつぼ法で少量生産されるだけで、大部分の可鍛(かたん)性の鉄は、高炉で溶融状態で製造された炭素の多い銑鉄を精錬炉で脱炭して製造される、半溶状の錬鉄であった。鉄は炭素の含有量の減少とともに融点が高くなるので、精錬炉の鉄は溶融状態を維持できなくなり、半溶状の錬鉄となるのである。その際、脱炭を促進するために鉄棒でパドリング(攪拌(かくはん))したのでパドル法とよばれた。ベッセマーは、錬鉄でなく溶融状態にまでもっていって溶鋼として大量生産することに挑戦し成功した。しかもその方法は燃料を使う必要のない方法であった。溶融銑鉄を入れた転炉に空気を炉底から吹き込み、その酸素で溶融銑鉄中のケイ素、マンガン、炭素を酸化除去して鋼に変え、その法外な酸化熱によって鋼を溶融状態に保持するのである。1856年の大英科学振興協会でこの転炉法が発表され、一大センセーションを巻き起こした。以来、錬鉄は衰微してゆき、溶鋼時代が始まった。8年後の1864年にはもう一つの溶鋼製造法である平炉法がシーメンズ兄弟およびマルタンによって工業化され、転炉法と平炉法が二大製鋼法となり、銑鉄製造の高炉法のあとに続く作業として製鉄技術を構成することになった。第二次世界大戦後は純酸素転炉法が開発されたが、すべての出発は銑鉄中の元素を熱源とするベッセマーの発明にあった。
[中沢護人]
イギリスの発明家,企業家,製鋼技術者。ハートフォードシャー州のチャールトンで生まれる。父はオランダ出身で,活字の鋳造所を経営していた。最初,父の工場で働きだし,切手印刷機,活字鋳造機,印紙プレス機などを発明。また,金粉のまがい品をシンチュウでつくり大もうけしている。1850年代になるとクリミア戦争に刺激され,大砲用に使える鋼が得られればと試行錯誤を開始する。問題は,銑鉄から炭素を減少させることにあったが,当時,簡単な方法がなかなか発見できなかった。ところがベッセマーは,実験を繰り返して行っているうち,溶融銑鉄のなかに空気を吹き込むだけで,ケイ素や炭素が酸化されて,いとも簡単に鋼に変化するという重要な現象を発見。おまけにこの方法は,酸化熱によって溶融銑鉄の温度1350℃を1550℃にまで上昇させることができ,加熱することなく溶融状態で鋼が得られるという画期的なものであることが判明した。この方法がベッセマー製鋼法と呼ばれているものである(これに用いられる炉が,セイヨウナシのような外形をした転炉であるところから,転炉法とも呼ばれる)。
56年に発表され,いくつかの製鉄所で実用化のはこびとなり操業を開始したが,ことごとく失敗した。それはベッセマー自身も自覚していなかったことであるが,質の悪い銑鉄,すなわちリンと硫黄を多分に含むものではベッセマー法は役にたたないものだった。これでベッセマーの評判はすっかり地に落ちてしまった。しかし,スウェーデンのダネモラ鉱石から製錬された銑鉄は,リン・硫黄を少量しか含まず,ベッセマー法でも優秀な溶融鋼が得られた。低リン・低硫の鉱石を使えばよいことがわかると,それらを確保できる地域に急速にこの方法が普及し,鉄の歴史に大変革をもたらした。71年イギリス鉄鋼協会の会長となる。73年からベッセマー賞が制定されている。
執筆者:雀部 晶
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1813~98
イギリスの発明家。製鋼について多くの実験を行った末,1856年ベッセマー法(転炉法)を発明し,優良鋼の量産を可能にし,重工業の時代を切り開いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…鋳造工程と圧延工程とを同時に進行させるので,造塊,均熱,分塊加工,加熱工程を省略することができる。この方法は転炉製鋼法を発明したH.ベッセマーによって1946年に考案されたもので,連続鋳造法の原型である。可鍛鋳鉄の薄板の製造に成功したが,当時の技術的条件では実用化には至らなかった。…
…2150kgの鋳鋼塊,鋳鋼の巨砲,太い長い軸,溶鋼でこんな大型製品ができるのである。H.ベッセマーはこの問題を解決し,56年8月13日大英科学振興協会の総会で溶鋼の大量生産法を報告した。容器中の溶銑に炉底の羽口から空気を吹き込んで炭素やケイ素を酸化させ(下吹法),溶銑を溶鋼にコンバートする(変える)方法であった。…
…転炉の大きさは1回に精錬できる鋼の量で表し,何t転炉などと呼ぶ。 転炉製鋼法は,1856年イギリスのH.ベッセマーが得た特許が発祥で,ほかにトーマス法,LD法,OBM,複合吹錬法などがあって,時代によりそれぞれの役割を果たしてきた。ベッセマー法は酸性底吹転炉法とも呼ばれている。…
…この反射炉はとくにパドル炉と呼ばれるが,19世紀後半W.シーメンズ,P.E.マルタンの努力によって反射炉はさらに改良され,溶融状態の鋼を容易に製造できる平炉がつくられた。それより少し前の1856年,H.ベッセマーは転炉法を発明したが,これは溶けた銑鉄を炉の中に入れ炉の底から空気を吹き込むことにより,銑鉄中の炭素やケイ素を酸化させ,その際発生する熱を利用して溶けた鋼をつくるというものである。このベッセマーの方法では,材料の性質を一般に悪くする鉄中のリンを取り除くことは困難であった。…
※「ベッセマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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