日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペンデレツキ」の意味・わかりやすい解説
ペンデレツキ
ぺんでれつき
Krzysztof Penderecki
(1933―2020)
ポーランドの作曲家。クラクフ音楽院で作曲を学ぶ。卒業後、同音楽院で教鞭(きょうべん)をとり、1972年から15年間院長を務めた。1959年、ソプラノ・朗読・10の楽器のための『ストロフィ』など3作品が相次いで国内コンクールで第1位を獲得して以来国際的注目を集める。52の弦楽器のための『広島の犠牲者への哀歌』(1960)で前衛音楽の主導的地位を確立。斬新(ざんしん)な記譜法を用いて、多数の弦楽器によるトーン・クラスター(密集音塊)の技法や、伝統にとらわれない楽器奏法、歌や語り、叫びまでを含む幅広い人の声の処理によって音色の可能性を開拓した。『ルカ受難曲』(1963~1966)、『怒りの日――アウシュビッツの犠牲者に寄せて』(1967)、『ウトレニア』(第1部「キリストの埋葬」1970、第2部「復活」1971)などの大規模な声楽作品では実験的書法を展開しつつ、過去の音楽への精神的回帰をみせており、重いテーマが大胆かつ劇的に表現されて、一般に広く直接的に訴えかけている。
1970年代なかばを境に、時代の趨勢(すうせい)と並行して、音楽語法はより明確な旋律法と豊かな響きを指向する、いわゆる「新ロマン主義」に転換した。1970年代以降に書かれた5曲の交響曲、各種の協奏曲は、拡大されたソナタ形式と19世紀の語法を洗練された音響のうちに実現したもので、1960年代の様式とは著しい変化をみせている。創作の中心となるのはやはりメッセージ性の強い声楽曲であり、神聖劇『失楽園』(1975~1978)をはじめ、古今の作品(古い宗教歌や1960年代の自作を含めて)からの引用を素材にしたオペラ、オラトリオの作品群が目だっている。なかでも、祖国ポーランドの過酷な政治情勢に触発された『ポーランド・レクイエム』(1980~1984、1993改訂)、バッハの影響を前面に出した『クレド』(1998)が特筆に値する。
[益山典子]