綿繰機(わたくりき)の発明で知られるアメリカの機械技術者。アメリカ機械工業勃興(ぼっこう)期に互換性部品による大量生産方式を確立するなど経営面でも才能を発揮した。マサチューセッツ州の農場で生まれ、エール大学卒業後1792年ジョージア州サバナへ行き、独立戦争のグリーンNathanael Greene(1742―1786)将軍の未亡人Catharine Greene(1755―1814)の示唆により、綿実から繊維を分離する機械の開発を思い立つ。木製の円筒に針を植えた模型を数週間で完成し、1794年に特許をとったが、発効以前に盗用されて発明による利益は得られなかった。しかしこの綿繰機によって綿繰り能力は従来の50倍(のち300倍に改良)にも増大した。また、それまでは西インド諸島産の海島綿しか綿繰りに向かなかったが、綿繰機の発明で大陸産の綿実も使用できるようになり、アメリカ南部の綿作隆盛を招いた意義は大きい。1798年政府とマスケット銃1万挺(ちょう)を2年間で製作する契約を結び、個々の部品を別々につくって組み立てる互換性方式を採用する。そのためにジグ(治具)やフライス盤などの新しい工作機械を採用するなど、以後の機械工業生産の基礎を確立する画期的業績を残した。
[篠原 昭]
アメリカの言語学者。エール大学のサンスクリット語教授。ホイットニーは、欧米の言語研究が、アリストテレス以来の論理学的アプローチか、さもなければ19世紀に盛んになった生体論的アプローチによっていることに異議を唱え、「言語とは恣意(しい)的な契約に基づく社会制度である」という理論をたてた。これはスイスの言語哲学者F・ド・ソシュールに多大な影響を与えた考え方であり、まさに従来の「言語学の軸を変えた」(ホイットニーへの未完追悼論文、1894)といわしめている。その主張は『言語と言語研究』Language and the Study of Language(1867)と『言語の生命と発達』The Life and Growth of Language(1874)に詳しい。
[丸山圭三郎 2018年8月21日]
アメリカの発明家。マサチューセッツ州ウェストボロの生れ。父の農場で釘などの小物を製造していたが,18歳のとき大学教育を受ける決意をする。1792年27歳でイェール大学を卒業,教師の勤め口を求めにジョージア州にいくが得られず,サバンナでグリーン将軍の未亡人の農場に招かれた。そこに滞在中の93年綿繰機(コットンジン)を発明,これは人力や馬,水力でも運転できる簡単な構造であったが,能率的で1日約23kgを製綿できた。翌年特許を得たが機械は模倣されて南部に急速に広まり,南部諸州を綿王国に築き上げたものの,ホイットニー自身は,サウス・カロライナ州政府の援助金も特許紛争などで失い,利益をあげることはできなかった。一方,彼は98年に政府と,2年間でマスケット銃1万丁を供給する契約を結んだ。綿繰機の生産過程で得た機械を小銃生産に充用できると考えたのである。それまで小銃は職人の手仕事で作られ,小銃の各部品は相互に互換性がなかったのに対し,ホイットニーは製作工具を用い,部品を規格化し,その生産に初めて互換方式を確立したといわれる。政府への小銃供給はようやく1809年に果たされたが,互換方式そのものはフランスの武器製作所や,アメリカでもいくつかの簡単な工作機器で試みられており,ホイットニーはこれらをマスケット銃の生産体系に構成したものとみられる。彼がフライス盤を最初に発明(1818)したということも現在では疑問視されており,また個々の工作機械発明でのホイットニーの寄与は不明確な点もあるが,彼の互換性部品生産方式は他の機械部門にも広がり,〈アメリカ方式〉といわれる大量生産方式の基本を確立するものとなった。
執筆者:木本 忠昭
アメリカの言語学者,サンスクリット学者。イェール大学に学び(1850),次いでドイツに留学し,A.ウェーバー,R.ロートに師事し,帰国して母校の教壇に立ってサンスクリットおよびインド・ヨーロッパ語比較言語学を講じた。アメリカのサンスクリット学,インド学の先駆的学者で,1884年にはアメリカ東洋学協会会長となり,また69年にはアメリカ言語学協会の初代会長に選ばれて,広く東洋学,言語学の発展に貢献した。インド学の分野では,ベーダ学,なかんずく《アタルバ・ベーダ》の研究に専念し,その全訳を公刊し(1855-56),索引を作製した(1881)。その《サンスクリット文法Sanskrit Grammar》(1879)は英語で書かれたサンスクリット文法書の中で最もよくまとまったものとして版を重ね,その補遺《動詞活用表》(1885)は現在もサンスクリット学者の必携書である。言語学の分野では《センチュリー大辞典》(1889-91)の編集に従事し,《言語および言語研究》(1867),《言語の生命と成長》(1875)などの著作がある。
執筆者:原 実
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(細谷新治)
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1765~1825
アメリカの発明家。1793年に綿繰り機を発明,アメリカ内陸産の綿の種子除去を容易にし,それによりアメリカ南部の綿花栽培の急速な拡大を導いた。また彼は部品組立方式を考案し小銃の生産に応用した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…実寸法が両許容限界寸法以内にあるかどうかは限界ゲージによって検査することができる。1798年にアメリカでホイットニーEli Whitney(1765‐1825)が互換性を考えた生産方式を取り入れ大量生産方式の基礎を作った。それが19世紀の中ごろイギリスのホイットウァースJoseph Whitworth(1803‐87)の働きによって重要な意義をもつようになった。…
…実寸法が両許容限界寸法以内にあるかどうかは限界ゲージによって検査することができる。1798年にアメリカでホイットニーEli Whitney(1765‐1825)が互換性を考えた生産方式を取り入れ大量生産方式の基礎を作った。それが19世紀の中ごろイギリスのホイットウァースJoseph Whitworth(1803‐87)の働きによって重要な意義をもつようになった。…
…1834年S.コルトは,銃工ジョン・ピアソンの協力をえてパーカッション・リボルバー1号を完成,35‐36年にイギリス,アメリカ両国で回転式弾倉の特許を取得した。またコルトは1847年に陸軍から大量の拳銃を受注した際,かねてから着眼していたホイットニービルの工場と契約し,初めて拳銃量産化の道を開いた。同工場創設者の初代E.ホイットニーは綿繰機の発明で知られるが,さらに小銃の量産化を互換性部品の分業生産と組立てラインにより達成して,アメリカ独自の生産様式に先鞭をつけている。…
…日本へは綿の伝来とともに伝えられたのであろう。綿繰りの機械化は18世紀の後半からアメリカで始まったが,1793年E.ホイットニーにより発明された〈ソージンsaw gin〉(鋸歯式綿繰機)が,その後の基本型となった。これは,円板のこぎりのようなディスクが多数並んでいて,細いスリットのあけられた板から歯が出ているものである。…
…そして革新的な傾向をもつウェブスター辞典と保守的で柔軟・穏健な立場をとるウースター辞典との間にいわゆる〈辞書戦争〉が起こったが,結局ウェブスター辞典の改訂版が勝利を収めた。ウェブスター辞典の地位は,19世紀末相次いで刊行された大辞典,言語学者W.D.ホイットニー編《センチュリー辞典》6巻(1889‐91。改訂版12巻,1911)やファンクIsaac Kauffman Funk(1839‐1912)編《標準英語辞典》2巻(1893‐94,改訂版1913)等の出現によっても揺るがず,その新版《ウェブスター新国際英語辞典》(1909,第2版1939,第3版1961)はアメリカにおいて最も権威ある大辞典の座を独占している。…
※「ホイットニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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