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ホイットニー ホイットニー Whitney, Eli

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホイットニー
ホイットニー
Whitney, Eli

[生]1765.12.8. マサチューセッツ,ウェストボロ
[没]1825.1.8. コネティカットニューヘーブン
アメリカの発明家。農家に生れる。少年時代から機械に対する才能を発揮し,エール大学在学中も新しい装置を工夫。大学卒業 (1792) 後,ジョージア州の綿業者との交友をきっかけに「ジン」と呼ばれる綿繰機を発明した。

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ホイットニー
ホイットニー
Whitney, William Collins

[生]1841.7.5. マサチューセッツ,コンウェー
[没]1904.2.2. ニューヨーク
アメリカの実業家,政治家。 1863年エール大学卒業後,ハーバード大学で法律を学び,ニューヨークで弁護士を開業。 S.ティルデンの信頼を得て「ツウィード派」に対する戦いを進め,70年代の腐敗したニューヨーク市自治体の再建に尽力。

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ホイットニー
ホイットニー
Whitney, William Dwight

[生]1827.2.9. マサチューセッツ,ノーサンプトン
[没]1894.6.7. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの言語学者。エール大学のサンスクリット語比較言語学の教授を長くつとめ,『アタルバ・ベーダ』 Atharva Vedaの編集や注釈,『サンスクリット語文法』A Sanskrit Grammar (1879) などの著書がある。

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デジタル大辞泉の解説

ホイットニー(Eli Whitney)

[1765~1825]米国の発明家。綿繰り機を発明し、米国南部の綿花栽培の増大に貢献。のち小銃の製造で、互換性部分を作ることによる大量生産の方式を採用し、また、フライス盤を発明した。

ホイットニー(Whitney)

米国カリフォルニア州南東部にある、シエラネバダ山脈の主峰。標高4418メートルアラスカ州を除いた米国の最高峰

ホイットニー(William Dwight Whitney)

[1827~1894]米国の言語学者・サンスクリット学者。著「言語とその研究」「言語の生命と成長」「梵語文典」など。

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百科事典マイペディアの解説

ホイットニー

米国の機械技術者。1793年綿繰機を発明,綿の種子をくり除く能率を手の場合の数百倍に高めた。のち銃器生産に転じ,1798年政府からの小銃大量受注に際し,部品を規格化した互換式生産法を採用,機械大量生産の基礎を築いた。
→関連項目カリフォルニア[州]コルト

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ホイットニー Whitney, Courtney

1897-1969 アメリカの軍人。
1897年5月20日生まれ。昭和20年連合国軍最高司令官マッカーサーの側近として来日し,GHQ民政局長となる。憲法改正の草案作りを指揮するなど,戦後日本の民主化に力をそそいだ。26年陸軍少将で退役,帰国。1969年3月21日死去。71歳。ワシントン出身。

ホイットニー Whitney, William Cogswell

1825-1882 アメリカの教育者。
1825年1月25日生まれ。在米中の森有礼(ありのり)のすすめで,明治8年(1875)商法講習所(現一橋大)簿記教師として来日。学校運営がうまくすすまず,11年退任。のち銀座簿記夜学校でおしえた。13年帰国。のち一家で日本にむかう途中,1882年8月29日ロンドンで死去。57歳。ジョージタウン出身。エール大卒。

ホイットニー Whitney, Willis Norton

1855-1918 アメリカの医師。
1855年10月18日生まれ。W.C.ホイットニーの長男。明治8年(1875)父とともに来日。東京大学ベルツに医学をまなび,のちペンシルベニア大を卒業する。15年再来日,アメリカ公使館付通訳官となる。19年勝海舟らの援助で東京に赤坂病院を設立,医療伝道をおこなった。1918年10月26日イギリスで死去。63歳。ニュージャージー州出身。

ホイットニー Whitney, Clara A.N.

1860-1936 アメリカの女性。
1860年8月30日生まれ。W.C.ホイットニーの長女。明治8年(1875)父とともに来日。父の就職が順調にすすまず,困窮して勝海舟の援助をうける。19年海舟の3男梶梅太郎と結婚し,1男5女をもうける。明治女学校でおしえ家計をささえたが,33年離婚,帰国した。「クララの明治日記」をのこす。1936年12月6日死去。76歳。ニュージャージー州出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ホイットニー

没年:1882.8.29(1882.8.29)
生年:1825.1.25
明治期の外国人教師。アメリカ人。エール大学卒業後,1852年,ニューアークにチェーン組織の商業学校を経営したが事業に失敗。ニューアーク校の学生富田鉄之助と初代駐米公使森有礼のすすめで,明治8(1875)年8月来日。森が創立した商法講習所(一橋大学)の簿記教師に就任した。9年講習所が東京府に移管されたとき着任した初代所長矢野二郎と意見が合わず,11年6月解任された。一家は長男の医学修学のためいったん帰国したが,15年再来日の途上ロンドンで客死した。墓はロンドン郊外のハムステッド墓地にある。彼の商法講習所における複式簿記と商業実践の講義は,彼の弟子たちによって忠実に受け継がれ,わが国の学校における近代商業教育の展開の基礎を築いた。<参考文献>細谷新治『商業教育の曙』全2巻,西川孝治郎『日本簿記史談』

(細谷新治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ホイットニー【Eli Whitney】

1765‐1825
アメリカの発明家。マサチューセッツ州ウェストボロの生れ。父の農場で釘などの小物を製造していたが,18歳のとき大学教育を受ける決意をする。1792年27歳でイェール大学を卒業,教師の勤め口を求めにジョージア州にいくが得られず,サバンナグリーン将軍の未亡人の農場に招かれた。そこに滞在中の93年綿繰機(コットンジン)を発明,これは人力や馬,水力でも運転できる簡単な構造であったが,能率的で1日約23kgを製綿できた。

ホイットニー【William Dwight Whitney】

1827‐94
アメリカの言語学者,サンスクリット学者。イェール大学に学び(1850),次いでドイツに留学し,A.ウェーバー,R.ロートに師事し,帰国して母校の教壇に立ってサンスクリットおよびインドヨーロッパ語比較言語学を講じた。アメリカのサンスクリット学,インド学の先駆的学者で,1884年にはアメリカ東洋学協会会長となり,また69年にはアメリカ言語学協会の初代会長に選ばれて,広く東洋学,言語学の発展に貢献した。

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大辞林 第三版の解説

ホイットニー【Whitney】

カリフォルニア州のシエラネバダ山脈にある山。アメリカ合衆国本土の最高峰。海抜4418メートル。セコイア国立公園に属する。

ホイットニー【Whitney】

〔Eli W.〕 (1765~1825) アメリカの発明家。綿の種子を除去する綿繰り機を発明。フランスで開発された互換式生産法による小銃の生産をアメリカで定着させようと運動し、大量生産の第一歩を踏み出した。
〔William Dwight W.〕 (1827~1894) アメリカのサンスクリット学者・言語学者。アメリカの東洋学・文献学の発展に大きく貢献した。著「アタルヴァ・ヴェーダ・サンヒター」「サンスクリット文法」など。

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世界大百科事典内のホイットニーの言及

【限界ゲージ】より

…実寸法が両許容限界寸法以内にあるかどうかは限界ゲージによって検査することができる。1798年にアメリカでホイットニーEli Whitney(1765‐1825)が互換性を考えた生産方式を取り入れ大量生産方式の基礎を作った。それが19世紀の中ごろイギリスのホイットウァースJoseph Whitworth(1803‐87)の働きによって重要な意義をもつようになった。…

【限界ゲージ】より

…実寸法が両許容限界寸法以内にあるかどうかは限界ゲージによって検査することができる。1798年にアメリカでホイットニーEli Whitney(1765‐1825)が互換性を考えた生産方式を取り入れ大量生産方式の基礎を作った。それが19世紀の中ごろイギリスのホイットウァースJoseph Whitworth(1803‐87)の働きによって重要な意義をもつようになった。…

【拳銃】より

…1834年S.コルトは,銃工ジョン・ピアソンの協力をえてパーカッション・リボルバー1号を完成,35‐36年にイギリス,アメリカ両国で回転式弾倉の特許を取得した。またコルトは1847年に陸軍から大量の拳銃を受注した際,かねてから着眼していたホイットニービルの工場と契約し,初めて拳銃量産化の道を開いた。同工場創設者の初代E.ホイットニーは綿繰機の発明で知られるが,さらに小銃の量産化を互換性部品の分業生産と組立てラインにより達成して,アメリカ独自の生産様式に先鞭をつけている。…

【綿繰器(綿繰機)】より

…日本へは綿の伝来とともに伝えられたのであろう。綿繰りの機械化は18世紀の後半からアメリカで始まったが,1793年E.ホイットニーにより発明された〈ソージンsaw gin〉(鋸歯式綿繰機)が,その後の基本型となった。これは,円板のこぎりのようなディスクが多数並んでいて,細いスリットのあけられた板から歯が出ているものである。…

【辞書】より

…そして革新的な傾向をもつウェブスター辞典と保守的で柔軟・穏健な立場をとるウースター辞典との間にいわゆる〈辞書戦争〉が起こったが,結局ウェブスター辞典の改訂版が勝利を収めた。ウェブスター辞典の地位は,19世紀末相次いで刊行された大辞典,言語学者W.D.ホイットニー編《センチュリー辞典》6巻(1889‐91。改訂版12巻,1911)やファンクIsaac Kauffman Funk(1839‐1912)編《標準英語辞典》2巻(1893‐94,改訂版1913)等の出現によっても揺るがず,その新版《ウェブスター新国際英語辞典》(1909,第2版1939,第3版1961)はアメリカにおいて最も権威ある大辞典の座を独占している。…

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