ホラント(英語表記)Holland

翻訳|Holland

デジタル大辞泉 「ホラント」の意味・読み・例文・類語

ホラント(Holland)

オランダ西部の地方。独立以来、政治・経済・文化の中心となってきたためオランダ全土をさすこともある。現在は、ノルト(北)ホラントとゾイト(南)ホラントの2州に分けられる。
[補説]日本語での呼称「オランダ」の語源となった。

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精選版 日本国語大辞典 「ホラント」の意味・読み・例文・類語

ホラント

(Holland) オランダ西部の地方名。現在は、アムステルダムハーレムがあるノルト(北)ホラント州デン・ハーグロッテルダムがあるゾイト(南)ホラント州に分かれる。独立以来、政治・経済・文化の中心であるためオランダ全土をさすこともある。日本語での呼称「オランダ」の語源ともなった。

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改訂新版 世界大百科事典 「ホラント」の意味・わかりやすい解説

ホラント
Holland

オランダ西部の地方で,北海に面する。語源は,ホルトラントHoltland(木の国)。中世以来のホラント伯領がほぼこれに当たり,現在は南北両ホラント州に分かれている。南ホラント州は面積3403km2,人口345万5097(2007),州都ハーグ。北ホラント州は面積4092km2,人口261万3070(2007),州都ハールレム。人口は,両州合わせて同国の1/3強を占める。アムステルダム,ロッテルダム,ハーグなどの主要都市を含むこの地方は,歴史的にも,また現在も同国の政治,経済,文化の中心をなしている。それゆえ,英語をはじめ多くの国語で,ホラントがオランダ全体の通称となり,日本の〈オランダ〉もこれに由来する(ポルトガル語経由)。

 ホラントは,ライン・マース河口地帯と北海とに挟まれた沼沢地がしだいに海没した後残された低地で,アイセル湖(旧ゾイデル海)と北海とに挟まれた半島をなす。西側の北海岸には標高20~30mの砂丘が連なり海水の浸入を防いでいるが,内陸部には海面下の土地が多く,とりわけ干拓地ポルダー)は,標高-4~-6mに達している。そのため,堤防が縦横にめぐらされ,大小の水路とポンプによって排水を行っている。中世末まで,大小の湖沼や入江がホラントの大部分を占めていたが,17世紀以来次々と干拓され(最大のものは,1832年完成のハールレメルメール干拓地と1930年完成のウィーリンゲルメール干拓地),肥沃な牧草地や耕地に変わった。土質は,西部の砂丘を除けば,干拓地の旧海成粘土層,それ以外では新海成粘土層および泥炭地から成る。産業は,伝統的に商業,海運,およびオランダでも最も集約的な酪農・園芸などを基盤としてきたが,第2次大戦後は工業化が進み,工業人口が有業人口の40%(農業は10%)に上昇した。工業の中心地は,アムステルダムから外港アイマイデンにかけての北海運河沿い(製鉄,機械,食品),およびロッテルダムの南に連なる造船,機械,石油精製,石油化学工業地帯である。鉄道や自動車道による都市間交通網はよく発達しているが,今後ますます人口が膨張すると予想され,住宅供給と,交通体系の整備が重要課題となっている。

フリーシー人の居住地であったこの地方は,中世初期にフランク王国の支配に入り,その分裂後ドイツ帝国に属した。1100年ころ,北海沿岸のケンネメルラントKennemerlandを本拠とするホラント家が今日のホラント全域を征服して,帝国内の一領邦ホラント伯領を形成。農業条件に恵まれぬこの地方の住民は13世紀から,漁業のみならず海運や商業に進出し,アムステルダム,ドルトレヒトなどの有力都市が発達した。1433年,フランドルを領有していたブルゴーニュ公家がホラント伯を兼ね,以来ネーデルラントの1州となった。その後,オランダ独立戦争期やオランダ共和国時代を通じて,ホラントはオランダ全体の盟主であった。バタビア共和国成立(1795)以来,南北2州に分割されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホラント」の意味・わかりやすい解説

ホラント
ほらんと
Holland

オランダ西部の地方名で、州名でもある。この地域はスペインからの独立時に主導権を握り、それ以後も政治、経済、文化の中心となったため、しばしばオランダ全土の名称としても使用される。日本語の「オランダ」もこの地方名が語源である。11世紀以来ホラント伯の所領であった。1323年ゼーラントを合併、1433年ブルゴーニュ公に帰属し、77年ハプスブルク家所領となり、1555年スペインの支配下に入る。1579年ユトレヒト同盟に加わりオランダ独立運動を推進した。1815年ウィーン会議後ネーデルラント王国の一州となり、40年ノールト(北)・ホラント(中心はハールレム)とゾイト(南)・ホラント(中心はハーグ)の二州に分割された。

[長谷川孝治・磯見辰典]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ホラント」の解説

ホラント
Holland

アムステルダムハーグを含むオランダの地域。15世紀後半ハプスブルク家領となったが,16世紀にその暴政に抵抗してオランダ独立戦争の中核として戦い,オランダ共和国の独立を達成。独立後も国制上また経済的にも圧倒的な優位を占めたため,ホラントはオランダの全体をさすようになり,日本語のオランダもそれに由来する。現在は南北両州に分かれている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホラント」の意味・わかりやすい解説

ホラント
Grafschap en Provincie van Holland

中世の伯爵領で 16世紀末以降オランダの最重要の州。9世紀に由来し,11世紀末伯の称号を得たホラント伯家の支配するオランダ北西部沿岸地方。 13世紀にはエノー家,続いてバイエルン家,15世紀にはブルゴーニュ家さらにハプスブルク家の領有に帰した。オランダ独立後,共和国の1州として経済,文化の中心となり,多くの都市が発達し,特にアムステルダムは世界的貿易港として繁栄した。そのためネーデルラント連邦共和国 (現王国) はしばしばホラント (オランダ) と呼ばれる。 1840年南北に2分された。

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世界大百科事典(旧版)内のホラントの言及

【オランダ】より

…日本の九州にほぼ等しい面積の小国で,人口密度は世界屈指の高さである。16世紀後半の建国以来ホラント州(現在の南・北ホラント両州)がこの国の政治,経済,文化の中心であったため,〈ホラントHolland〉とも呼ばれる。東は西ドイツ,南はベルギーと国境を接し,北と西は北海に面して長い海岸線を形づくる。…

【オランダ】より

…日本の九州にほぼ等しい面積の小国で,人口密度は世界屈指の高さである。16世紀後半の建国以来ホラント州(現在の南・北ホラント両州)がこの国の政治,経済,文化の中心であったため,〈ホラントHolland〉とも呼ばれる。東は西ドイツ,南はベルギーと国境を接し,北と西は北海に面して長い海岸線を形づくる。…

【レヘント】より

…レヘントは各都市の代表として州議会議員となって州の政治を担い,また7州によって構成され,共和国の最高意志決定機関である連邦議会に州を代表する議員として出席した。連邦議会においては連邦財政の過半を負担するホラント州代表の発言権が強く,ホラント州議会を支配したのはアムステルダムをはじめとする商業都市の代表であったから,レヘントは都市,州,国の実質的支配者であった。彼らは〈議会派〉と呼ばれる政治勢力を形成し,商業・貿易の自由=州分権(州主権)体制の確立と維持を志向し,ハーグの総督を中心に集権的統治を推進しようとする〈総督派〉と激しく対立した。…

※「ホラント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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