アメリカ合衆国第25代大統領(在任1897~1901)。1月29日オハイオ州に生まれる。南北戦争に従軍したのち、同州カントンにおいて弁護士を開業。1877年より91年まで(83~85年を除く)連邦下院議員を務めた。この間、90年には高率保護関税法であるマッキンリー関税法を提案し、その成立を得た。92年よりオハイオ州知事を2期務めたのち、マーカス・ハナの後援を得て、96年共和党大統領候補に指名された。選挙戦では、実業界あげての支援のもとに、「健全通貨」(サウンド・マネー。フリー・シルバーなどの通貨膨張論に反対する立場)と保護関税を唱えて、民主党のブライアンを破った。大統領在任中、未曽有(みぞう)の高率保護関税法であるディングレー関税法(1897)、金本位法(1900)などの制定を実現する一方、98年アメリカ・スペイン戦争を遂行し、フィリピン、プエルト・リコ、グアム、ハワイなどの併合を達成し、また、中国に対しては門戸開放政策を追求するなど、帝国主義列強としてのアメリカの地位を決定づけた。1900年再選を果たしたものの、01年9月14日アナキストにより暗殺された。彼は従来、弱い大統領との評価を受けてきたが、最近の研究によれば、むしろ、内政、外交両面において強い指導性を発揮し、しかも国内各利益の調和に意を用いた、いわば現代的大統領の端緒とされている。
[横山 良]
『山本幹雄著『アメリカ帝国主義の形成』(1977・ミネルヴァ書房)』
アメリカ合衆国第25代大統領。在職1897-1901年。オハイオ州生れ。弁護士,郡検事を経て,1877年から下院議員。共和党の有力議員として活躍し,90年高保護関税法(マッキンリー関税)を成立させ,92年からはオハイオ州知事を務めた。96年大実業家マーク・ハナMark Hannaの後援で共和党大統領候補となり,高関税による産業と労働者の保護を唱えて当選を勝ちとった。大統領としては,合衆国史上最高率の関税を定めたディングリー関税法(1897)を成立させ,1900年在来の金銀複本位制を金本位制に改めた。1898年の米西戦争によってプエルト・リコ,グアム,フィリピンを獲得,キューバを保護国化して合衆国を世界強国の座につかせ,またハワイを併合し,国務長官ジョン・ヘイの〈門戸開放宣言〉によって,極東の国際政治に参加した。帝国主義段階にはいった合衆国の社会調和と国民統合を目ざし,1900年に再選されたが,01年9月無政府主義者に暗殺された。
執筆者:志邨 晃佑
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1843~1901
アメリカの政治家,第25代大統領(在任1897~1901)。共和党員で実業界の利益を重視,1896年大統領選挙で金本位制や保護関税を主張して当選。海外進出にも積極的で,アメリカ‐スペイン戦争,ハワイ併合,門戸開放政策を手がけた。在任中に無政府主義者に暗殺された。
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…世紀末,この新聞は〈人民のチャンピオン〉と称して鉱山,鉄道,電信などのトラストを攻撃,国有化を主張しさえした。1901年4月,大統領マッキンリーを激しく攻撃していた同紙は暗殺を教唆するかのごとき論説をかかげた。9月大統領が現実に暗殺されると,非難の集中砲火を浴び,あわてたハーストは,〈アメリカ人のためのアメリカの新聞〉というふれこみで,《アメリカン》と改題した。…
※「マッキンリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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