南太平洋、フランス領ポリネシアを形成する諸島のうち、最北部を占める島々。フランス語名マルキーズ諸島Îles Marquises。「マルケサス」は英語名。12の島からなる。ウアフカUahuka島(別名ワシントンWashington島)、ヌクヒバNukuhiva島、ウアポウUapou島、エイアオEiao島、ハツツHatutu島などの北島群と、ヒバ・オア島、ファツヒバFatuhiva島、タフアタTahuata島、モホタニMohotani島などの南島群に分けられる。全陸地面積の合計1049平方キロメートル、総人口8064(1996)。最高峰はヒバ・オア島のテメティウTemetiu山(1200メートル)だが、同島のヘアニHeani山(1072メートル)は行政中心地アツオナAtuonaの背後にそびえる山としてよく知られている。なお、この付近は南アメリカ西岸から北流するペルー海流の影響でサンゴ礁の発達は妨げられている。火山性の肥沃(ひよく)な土壌と熱帯の多量の雨により農業が盛んで、コプラ、バニラ、バナナを産出する。名称は、1595年ペルーからここにやってきたスペインの航海者メンダーニアが、ペルー総督夫人マルケス・デ・メンドーサにちなんで命名した。
[大島襄二]
人種的にも文化的にもポリネシア系に属す。紀元ごろに西ポリネシア、おそらくはサモアから移住してきたと考えられている。山がちで平地がほとんどなく、かつて人々は谷間に集落をつくって住んでいた。主としてパンノキ、ほかにバナナ、いも類などの焼畑耕作を営み、緩やかな階層制に基づく社会を維持していた。集落間の戦闘もしばしばで、人身供犠(くぎ)や食人の風習があった。太平洋地域には珍しい一妻多夫の婚姻制度をもち、これを維持するために女児の嬰児(えいじ)殺しを行っていたという報告は有名である。またいれずみがたいそう発達し、男子は全身くまなくこれを施した。19世紀初頭には8万人と推定されていた人口がヨーロッパ人との接触により急激に減少し、1926年には2000人余りとなったが、1962年には5000人弱、88年には7400人と回復してきた。著しい人口減少を経た今日の社会は大きく変容し、ほとんどの人々がキリスト教徒となっている。
[山本真鳥]
南太平洋,フランス領ポリネシアの最北部の島々。フランス語ではマルキーズ諸島。1595年,ヨーロッパ人としては初めてメンダーニャが来航。その後の植民地獲得競争の結果,1842年にフランス領と宣言された。18世紀末に捕鯨業の基地がつくられてから,住民に対する略奪,暴行が行われ,またヨーロッパからの疫病が流行したこともあって住民数が激減した。画家ゴーガンが晩年をこの地域のヒヴァ・オア島で暮らしたことで有名。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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