ロシアの画家。キエフ(現、キーウ)近郊に生まれ、モスクワの絵画・彫刻・建築学校で学ぶ。1910年代に入ってからは、キュビスムとフトゥリスム(未来派)の融和を目ざして、しだいに抽象絵画へと傾斜した。1913年、未来派オペラ『太陽の征服』を手がけた際、後に「シュプレマティズム」(至高主義・絶対主義)とよばれる純粋抽象に目ざめる。「ダイヤのジャック」(1910)、「ロバの尻尾(しっぽ)」(1912)などの展覧会に出品。1915年の「最後の未来派絵画展―0,10」(ゼロを目ざす10人の意)展に出品した『黒い正方形』(モスクワ、トレチャコフ美術館)は、白地の背景の上に黒い正方形だけを描いたもので、今日の抽象画の一つの出発点となった記念すべき作品である。革命後はビテプスクの美術学校で後進の指導にあたった時期もある。また、1918年にはマヤコフスキーの戯曲『ミステリヤ・ブッフ』の舞台美術を手がけた。しかし、1930年代に入るとソ連美術界は抽象美術をデカダン派のものときめつけ、マレービチもふたたび具象的な仕事に戻ろうとしたが、大きな成果をあげぬまま病に倒れ、レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)に没した。死後ますます抽象美術への風当たりは強く、ほとんど抹殺に近い状況にあったが、ようやく第二次世界大戦後の雪どけ以降、再評価され始めている。しかし、西側での研究が盛んで、旧ソ連での研究は1980年代に始まった。
[木村 浩]
ロシア・ソ連邦の抽象画家。シュプレマティズム絵画の創始者。キエフ近郊に生まれ,モスクワの絵画・彫刻・建築学校に学ぶ。印象主義的な時期のあとラリオーノフの前衛芸術運動に加わり,画風は民芸ふうの素朴なものから立体未来派cubofuturismへと展開した。彼の立体未来派は最初F.レジェの円管主義に未来派の色彩を付したものであったが,1913年には分析的キュビスムとロシア未来派の詩の影響をうけて言語イメージと関連する〈超意味的リアリズム〉あるいは〈アロジズム〉と呼ばれる作品《牛とバイオリン》に達する。大胆な実験はさらに続き,同年マチューシンMikhail Vasilievich Matyushin(1861-1934)のオペラ《太陽の征服》の舞台背景に幾何学形態を絵画記号として使用することを思いつき,その後これを〈シュプレマティズム〉の作品として描き,15年にペトログラードで35点を一挙に発表した。なかでも代表作《黒い正方形》は,彼の言う〈形態のゼロ〉として描かれたもので,キュビスムのいう概念の芸術をさらにすすめた理性の芸術となっている。革命後は一時ビテプスク美術学校で〈ウノビスUNOVIS(新芸術肯定)〉グループを結成し,シュプレマティズムを二次元の絵画から三次元のものへと展開させた。23年から26年までレニングラードで建築的立体構成〈アルヒテクトンArchitecton〉を制作,27年ワルシャワとベルリンで個展を開くために出国,ドイツに70点の作品を残して帰国。晩年は,社会主義リアリズムの確立によって疎外された孤独な心境を象徴するような図式的な人物画を描いた。
執筆者:宮島 久雄
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