1910年代前後にロシアで誕生し、おもに30年代初めまで展開された前衛芸術運動。美術のジャンルでは、フランスのキュビスムの影響のもとに行われた「ダイヤのジャック」展(1910)を嚆矢(こうし)として、ロシアの民衆文化や東洋の美術への回帰を唱えるM・ラリオノフ、N・ゴンチャロワらのプリミティビズム運動に受け継がれ、さらに1910年代には、「ロバの尻尾(しっぽ)」展(1912)や「青年連盟」の運動において、キュビスムと未来主義の手法を一体化するクボフトゥリズム(立体未来主義)の方法が模索された。だが、今日ロシア・アバンギャルドの中心人物とみなされているK・マレービチ、V・タトリンらは、従来の美術の制度的枠組みをいっさい否定する純粋抽象の道をつき歩み、15年の「最後の未来派絵画展-0,10」(ゼロを目ざす10人の意)展において、K・マレービチはシュプレマティズム(絶対主義)とよばれる抽象絵画を、V・タトリンは「コーナー・反レリーフ」とよばれる無対象の三次元オブジェを発表した。ロシア革命(1917)後、この運動に加わった芸術家は大きく二つに分かれ、純粋抽象の孤塁を守り続ける一派と、ボリシェビキ新政府と手を組み、自らの抽象主義的な志向性とアジ・プロ(扇動・宣伝)的なメッセージ性をドッキングさせ、また、芸術そのものを生産システムの一部に組み入れる構成主義の運動に二極化した。前者に属していたのが、K・マレービチ、P・フィローノフ、W・カンディンスキー、M・シャガールらであり、その一部は西側に亡命した。また構成主義の担い手としては、「第三インターナショナル記念塔」で知られるタトリンほか、A・ロドチェンコ、L・ポポーワ、V・ステパーノワらがいた。アバンギャルド美術はまた、舞台美術、写真、デザインにも多くの優れた芸術家を輩出した。一方、建築のジャンルは20年代末から活況を呈し、ベスニン兄弟、K・メーリニコフ、I・レオニードフら傑出した才能を生んだ。歴史的にロシア・アバンギャルドは、32年の党決定「文学・芸術団体の改組について」によって全面的後退を強いられ、大テロルの嵐が巻き起こる30年代後半にほとんどすべてのジャンルで命脈を絶たれた。
[亀山郁夫]
『亀山郁夫著『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)』
…西欧の同時代の芸術に刺激をうけ,反アカデミー,反リアリズムを指向し,1904年まで全12号を刊行。同人がバレエ・リュッスの母体になるなど,この雑誌は〈ロシア・アバンギャルド〉の一つの源泉となった。【海野 弘】。…
…リシツキーはこれをうけて,19年より〈プロウンPROUN(新しきものの確立のための計画)〉を計画し,スエティンNikolai Mikhailovich Suetin(1897‐1954)やチャシュニクIlia Grigorievich Chashnik(1902‐29)などもそれぞれシュプレマティズムの作品を制作した。シュプレマティズムと20年代の構成主義を含めて,革命前後の前衛的な芸術の動向を指すのに〈ロシア・アバンギャルド〉の語が使われることもある。抽象芸術【宮島 久雄】。…
※「ロシアアバンギャルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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