マンモスゾウ(読み)まんもすぞう(その他表記)mammoth

翻訳|mammoth

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンモスゾウ」の意味・わかりやすい解説

マンモスゾウ
まんもすぞう
mammoth
[学] Mammuthus primigenius

氷河時代のゾウを代表するもの。学名のprimigeniusは、特異な形をした臼歯(きゅうし)の化石をもとに名づけられ、ケナガマンモスともよばれる。北緯50度以北のシベリアの凍土地帯では、毛や肉や血液が氷づけで保存されている遺体がみつかる。マンモスゾウの化石は、これまでおもに、ユーラシア北部から北アメリカ北部にかけての約11万5000年前から1万年前にかけての地層から発見されている。しかし、2001年に、東シベリア海東部のウランゲリ島で発掘されたマンモスゾウの化石は、7000年から4000年前のものであり、もっとも新しい。

 マンモスということばは、ロシア語のマモートに由来し、「大地の下に住むもの」を意味するタタール語のママントウmammamtuに基づいている。タタールモンゴル人の先祖)の伝説では、地下には巨大なウシが住んでいて、その「牙(きば)」がたくさん掘り出されるという。また、その話は、中世にタタールと交易をしていたアラブや中国の商人によってヨーロッパやアジアの各地に伝えられた。一方、古代の中国では、アジアゾウ(インドゾウ)が各所でみかけられ、紀元前1世紀の司馬遷の『史記』のなかでは、シベリアにもゾウが住んでいることが述べられている。しかし、その後にはゾウの姿がみられなくなり、中国の北・中部ではゾウのことは忘れ去られて、地下に巨大なモグラの「陰鼠(いんしょ)」が住んでいて、その牙が地中からみつかる、とされるようになった。

 18世紀には、キュビエなどヨーロッパの学者たちの研究によって、古代ゾウとしてのマンモスゾウの位置づけが明らかにされた。また、シベリア・レナ川河口でのアダムスたちによるマンモスゾウの全身骨格の発掘(1799)があり、さらに、レナ川の中流のベレゾフカで発見された氷づけのマンモスゾウ(1901)から、マンモスゾウの全身の姿が正しく把握されるようになった。また、近年になって、シベリア東部のマガダンで赤ちゃんマンモス「ディーマ」の発見(1977)があり、マンモスゾウの全体像がしだいに明らかにされてきている。

亀井節夫

形態と生態

マンモスということばは、マンモス都市、マンモスタンカーのように、「巨大」を表す形容詞としても使われる。しかしながら、実際のマンモスゾウはそれほど大きなものではなく、肩の高さは3メートル程度、大きさとしては現在のアジアゾウとほとんど差はない。なお、北アメリカのカリフォルニア沖のサンタ・バーバラ島では、肩の高さが1.2メートル程度の小型のマンモスゾウの化石も知られている。

 シベリアの凍土地帯で見つかった氷づけのマンモスゾウの遺体から、マンモスゾウの生きていた姿を直接に知ることができる。皮膚には、長さが80センチメートルを超える黒色の剛毛と、10センチメートル程度のフサフサとした褐色の柔毛が生えていた。また、頭頂部には黒い剛毛が密生していた。上に高く突き出た頭の形が特徴的で、耳は小さく、鼻も短かく、皮膚の下に9センチメートルもの厚さの脂肪層が発達し、寒冷地に適したゾウであったことがわかる。体の形は、頭は上に突き出て、肩の部分は高く盛り上がっていて、その後ろは、腰のところが急に低くなり、尾は短い。また、成獣では、上顎(じょうがく)の左右に、長さ3メートルを超える、強く湾曲した1対の切歯(「牙」)が下向きに生え、両外側に向かって伸びていて、先端は互いに向き合うようにねじれていた。体の長さは、成獣では鼻の長さを含めて5ないし6メートル、体重は牙の重さを含めると5トン近くあった。

 フランス西南部、ドルドーニュ地方の洞窟(どうくつ)には、躍動的な姿のマンモスの絵が描かれたり、刻みこまれている。すなわち、氷河時代には、北緯45度のこの地域でも、たくさんのマンモスゾウをみかけることができた。それらの絵や彫刻は、旧石器時代後期のマグダレーヌ期(1万5000~1万年前の寒冷期)のものとされ、同様なものは、ウラル山地のカポベヤ洞窟や、シベリアやモンゴルなどでも知られていて、それらからは生きていたときのマンモスゾウのリアルな姿を直接に知ることができる。

 ミイラ化した氷づけのマンモスゾウの胃からは、現在のシベリアの草原に生えているスズメノテッポウやケシ、ホッキョクキンポウゲやスゲの仲間、イネ科の植物などが多量にみつかっていて、マンモスゾウが寒冷地の草原の生活者であったことを物語ってくれる。また、氷づけのマンモスゾウは、毛サイ、ウマ、ヘラジカオオツノシカなど、主として草原に住むものの化石も伴っていて、それらはマンモス動物群とよばれ、氷河時代には、ツンドラ性ステップ草原で繁栄していた。しかしながら、氷河時代末期には、温暖化によって、シベリアからヨーロッパにかけて広くみられた草原の大部分が湿地帯に変わってしまったために、生活の場を失ったマンモス動物群は絶滅してしまった。

 ロシア南部のドン川流域やウクライナの各地には、メジン、メジリチ、コスチョンキなどの遺跡で代表されるマンモスゾウの骨や牙を使った住居の遺跡が数多くある。これまで、それらは「マンモス・ハンター」の住居遺跡とされていたが、古生物学学者のベレシチャーギンらは、それらの住居跡の骨や牙は「マンモス狩り」で得られたものではなく、木がまばらにしか生えていなかった氷河時代の草原で、地中から掘り出した骨や牙の化石を集めて、住居の材料として使ったものであるとした。また、旧石器人たちが、落とし穴などを使って「マンモス狩り」をしていたことも知られている。しかしながら、マンモスの化石の量からは、人類の狩猟活動でマンモスゾウが絶滅したことは否定されている。

[亀井節夫]

系統と分布

分岐分類学の研究からは、マンモスゾウは、現生のゾウでは、アフリカゾウよりもアジアゾウに近いとされている。また、氷づけで発掘されたマンモスゾウの遺体のミトコンドリアDNAの分析からも、マンモスゾウはアフリカゾウよりもアジアゾウに近いことが裏づけられている。また、氷づけのマンモスゾウの精子を取り出して、現生のゾウの卵子と交配させることによって、生きたマンモスゾウを再現させようという試みもされている(マンモス復活プロジェクト)。また最近は、CTスキャンなどで氷づけのマンモスゾウの体の内部が調べられている。

 マンモスゾウの古い先祖は、「暖帯のマンモス」とよばれるメリジオナリスゾウで、そのゾウは300万年前から100万年前にユーラシア大陸の広い地域で生活をしていた。また、その子孫は、「草原のマンモス」とよばれるトロゴンテリゾウであって、肩の高さが4.5メートルもある巨大なものもいた。このトロゴンテリゾウの直接の子孫が、「寒帯のマンモス」といわれるマンモスゾウである。なお、はるかに古い約1500万年前には、「暖帯のマンモス」とされるメリジオナリスゾウがユーラシア大陸に広く分布していた。その仲間で北アメリカ大陸に渡ったものの子孫には、肩の高さが4メートルもあるコロンビアゾウというものがあり、さらにその子孫のジェファーソンゾウの「帝王マンモス」は人類と共存していたが、1万2000年前に絶滅した。

 日本列島周辺では、マンモスゾウの臼歯の化石が、オホーツク海の海底やサハリン(樺太(からふと))などからたくさんみつかっている。また、北海道の各地の海岸地帯からも、数は多くないが、マンモスゾウの臼歯がいくつか発見されている。中国の東北地方・河北省から朝鮮半島北部にかけても、マンモスゾウの化石がたくさん出土していて、氷河時代のアジアでは、マンモスゾウは北緯40度以北の地域に広く分布していたことがわかる。

 日本列島では、マンモスゾウの化石は、山陰沖海底からみつかった1個の臼歯化石を除けば、すべてが北海道およびその周辺の海底からのものである。それらについての年代測定値からは、北海道では、氷河時代の2回の寒冷期、すなわち6万年から3万5000年前とその後の2万5000年から1万年前の2回にわたって、マンモスゾウが南下してきたことが明らかにされた(高橋啓一ほか、2008)。なお、今日、北海道に生息するエゾナキウサギやエゾシマリス、エゾシカ、キタキツネ、エゾヒグマ、エゾヤチネズミなどは、寒冷な時期に北海道に南下してきたマンモス動物群の生き残りとされている。

 マンモスゾウが、津軽海峡を越えて本州地域にまで到達した証拠は、これまでは知られていない。しかしながら、岩手県、長野県、岐阜県、広島県、山口県、福岡県などの本州の各地からは、マンモス動物群の仲間のヘラジカ、オオツノシカ、ヒグマ、サイなどの化石がみつかっている。また、北海道では、ナウマンゾウの化石もいくつか知られている。氷河時代の終わりのころの2回にわたる寒冷期の間の温暖期には、温帯樹林が広く分布し、本州に住んでいた森林生活者のナウマンゾウのなかには、北上してきて住み着いたものもいた。また、そのような温暖な時期には、マンモスゾウは、より北方の寒冷な地域に移動し、生活の場をナウマンゾウに明け渡していた。

[亀井節夫]

『アウグスタ・ブリアン著、浜田隆士訳『原色・マンモス』(1967・岩崎書店)』『E・W・フィッツエンマイヤー著、三保元訳『シベリアのマンモス』(1971・法政大学出版局)』『加藤晋平『マンモスハンター』(1971・学生社)』『ヴェレシチャーギン著、金光不二夫訳『マンモスはなぜ絶滅したか』(1981・東海大学出版会)』『S・N・ビビコフ著、新堀友行・金光不二夫訳『マンモスの骨でつくった楽器』(1985・築地書館)』『エイドリアン・リスター、ポール・バーン著、大出健訳『マンモス』(1995・大日本絵画)』『マンモス発掘プロジェクト編、鈴木直樹監修『マンモスへの旅――いかに冷凍マンモスを発掘し研究するか』(1996・日本テレビ放送網)』『アリキ・ブランデンバーグ著、千葉茂樹訳、小畠郁生監修『マンモスの謎』(1997・あすなろ書房)』『後藤和文著『マンモス復活プロジェクト』(1998・講談社)』『ピーター・D・ウォード著、犬塚則久訳『マンモス絶滅の謎』(2000・ニュートンプレス)』『後藤和文監修『マンモスが復活する日』(2000・東京書籍)』『クローディーヌ・コーエン著、菅谷暁訳『マンモスの運命――化石ゾウが語る古生物学の歴史』(2003・新評論)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android