ムクウェゲ(読み)むくうぇげ(英語表記)Denis Mukwege

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムクウェゲ」の意味・わかりやすい解説

ムクウェゲ
むくうぇげ
Denis Mukwege
(1955― )

コンゴ民主共和国(旧ザイール)の産婦人科医、人権活動家。1990年代後半の第2次コンゴ戦争以降、強姦(ごうかん)被害にあった4万人以上の女性の治療にあたり、その精神的ケアや生活支援に尽力している。戦時紛争下で、性暴力が対立勢力の恐怖心をあおる「戦争の武器」と化して横行する実態を広く国際社会に訴え、命の危険を顧みずに正義を追求した功績で、2018年のノーベル平和賞を受賞した。

 旧ベルギー領コンゴ(現、コンゴ民主共和国)生まれ。牧師である父が病気の子供らに寄り添う姿を見て、医師を志し、隣国ブルンジやフランスで医学を学んだ。コンゴ東部の南キブ州で医療活動を開始。同州ブカブで1999年、性暴力被害者の治療で世界的に有名となる「パンジ病院」を設立した。第2次コンゴ戦争以降、コンゴ東部では金、ダイヤモンドレアメタルなどの資源をめぐる政府軍と反政府武装勢力の戦闘が周辺国を巻き込んで泥沼化し、治安が極度に悪化。多くの女性が性暴力を受け、国連高官が「世界のレイプの中心地」(the rape capital of the world)とよぶほどの悲惨な状況に陥った。同地で、ムクウェゲは民兵や武装勢力による集団レイプなどで負傷した4万人以上の少女や赤ん坊を含む女性を同病院に受け入れ、治療や心のケア、社会復帰の支援などにあたった。ムクウェゲ自身が襲撃や脅迫を受け、2012年には一時海外へ避難したが、2013年に命の危険を冒してコンゴに帰還。治療を通して紛争に抗し続け、性暴力は「戦争の兵器」と化し、加害者が処罰されない悲惨な現地の状況を世界に告発。法の裁きを実現するため国際社会に行動を起こすよう国連などでよびかけた。こうした一連の功績で、2018年にノーベル平和賞を受賞した。受賞理由は「戦場や紛争地域において兵器として用いられる戦時性暴力を終結させるための努力」で、イラクの女性人権活動家ナディア・ムラドとの共同受賞である。ノーベル賞以外にも、国連人権賞(2008)や、優れた人権活動を表彰するヨーロッパ議会の「サハロフ賞」(2014)など人権関連の受賞多数。2015年、ムクウェゲの活動を描いたドキュメンタリー映画『The man who mends women ~ The wrath of Hippocrates』(邦題:『女を修理する男』)が制作された。2016年に米誌『タイム』は「世界で最も影響力のある100人」の一人に選んだ。

[矢野 武 2019年2月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムクウェゲ」の意味・わかりやすい解説

ムクウェゲ
Mukwege, Denis

[生]1955.3.1. ベルギー領コンゴ,ブカブ
コンゴ民主共和国の医師。牧師の父とともに病気の教区民を訪問していた経験から地域の医療の必要性を感じ,ブルンジやフランスで医学を学びながら医療活動に従事した。1999年にはコンゴ民主共和国東部にパンジー病院を設立し,この地域で不足していた産婦人科医療を提供するとともに,1996年末から続く紛争のなかで傷を負った,乳児を含む大量の性暴力の被害者を受け入れ始めた。紛争における性暴力は,敵対する集団への脅迫や追放の手段として組織的・意図的に行なわれるもので,ムクウェゲはその危機に対処するため被害者の治療を専門とする職員を育成し,1999年以降 5万人以上の女性と子供の治療にあたった。紛争の責任者処罰を国際連合で訴えた直後の 2012年10月,家族とともに暗殺未遂にあい,一度は国外に退去したが,性暴力被害者たちの強い希望にこたえ 2013年に帰国し,引き続き治療にあたりつつ国際社会へ訴え続けた。2018年,性暴力がこれ以上戦争や紛争で戦術として使われないようにするため尽力したことにより,イラクの人権活動家ナディア・ムラドとともにノーベル平和賞(→ノーベル賞)を受賞した。そのほか 2008年国連人権賞,2014年サハロフ賞など受賞多数。

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