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ムンバイ Mumbai

翻訳|Mumbai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムンバイ
Mumbai

インド西部,マハーラーシュトラ州の州都。かつてはボンベイ Bombayと呼ばれていたが,1995年ヒンドゥー教の女神ムンバ・バイ (ムンバ・デビ) にちなみ,現地で使われているマラーティー語の発音に近いムンバイに正式に改められた。アラビア海に臨む南北に細長い島 (長さ 18km,幅 5km) に位置する商工業都市で,インドの主要貿易港であるとともに有数の金融,商業の中心地。 1668年イギリス東インド会社が進出,18世紀以降カンベイ湾の諸港に代わる西海岸の貿易港として発展,19世紀には国内最大の貿易港となった。インドで最もヨーロッパ的な都市で,南部には州および市の諸機関,商社,銀行,ビクトリア駅,博物館などイギリス風の建物が並び,北部は狭隘な街路と高い居住密度をもつ商住地区。デカン高原の綿作地帯を控え,インドの代表的綿工業都市。ほかに造船,自動車,機械・化学工業の発展も著しく,西海岸の経済中心地。映画産業も活発。沖合いでは油田が開発されている。原子力発電所,ボンベイ大学 (1857創立) 改めムンバイ大学,タタ研究所,バーバ原子力研究所などがある。本土と道路,鉄道,フェリーで結ばれ,北郊に国際空港がある。人口 1191万 4398 (2001) 。

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デジタル大辞泉の解説

ムンバイ(Mumbai)

インド西部、アラビア海沿岸の小島に位置する港湾都市マハラシュトラ州の州都。西インドの商工業・金融・交通の中心地であるほか、映画産業も盛ん。ポルトガル領を経て、1661年にイギリス領となり、東インド会社の拠点となった。旧称ボンベイ。人口、行政区1198万、都市圏1643万(2001)。→ボリウッド

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大辞林 第三版の解説

ムンバイ【Mumbai】

インド西部、アラビア海に面する港湾都市。綿織物・機械・精油などの工業が発達。綿花・マンガンを輸出する。イギリス領時代は東インド会社のインド経営の拠点。旧称、ボンベイ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ムンバイ
むんばい
Mumbai

インド西部、アラビア海沿岸の港湾都市。マハラシュトラ州の州都。イギリス植民地時代より長い間ボンベイBombayとよばれていたが、1997年、古来の名称である「ムンバイ」に変更した。北部郊外地区などを含めて大ムンバイ市を構成している。人口1636万8084(2001)。西インド最大の都市である。[福岡義隆]

地誌

気候はケッペンの気候区分のうえでは、サバンナ気候に属する。明確な雨期と乾期からなり、年降水量2078ミリメートルの98%は、6月中旬から10月中旬に集中する。気温の年変化は小さく、年平均気温は27.3℃で、最暖月は5月で平均29.9℃、最寒月は1月で平均24.3℃である。
 17世紀後半よりイギリスのインド経営の西の根拠地となって発展し、独立後も順調に経済的成長を遂げてきた。おもな産業は同国第1位の織物業で、機械、石油化学、食品、たばこ、化学薬品、自動車などの工業や映画産業も盛んである。金融面でもインドで指導的な位置にあり、市内には中央銀行や諸銀行の本店、株式取引所、主要企業の本社が並び、外国の銀行や商社なども多い。また貿易額はインド全体のおよそ3分の1を占める。交通面でも陸・海・空の要地で、とくに航空路については国際的中枢をなし、アジアとヨーロッパの中継地となっている。港は西アジアやヨーロッパ、アフリカなどからの西インドへの入口で、ビクトリア駅は国内幹線鉄道のターミナルである。住民構成は複雑で、マラーティー(マラータ人)がもっとも多く約半数を占め、次はグジャラーティー(グジャラート人)で、そのほかインド各地方出身者も多い。経済的に勢力が強いのはグジャラーティーの商人と、パールシー(イランから亡命してきたゾロアスター教徒)の資本家で、両者はイギリスがここに都市を建設したときに来住した人々の子孫である。市内の景観は南北で対照的である。南部にはイギリス領時代に建てられたビクトリア駅、中央郵便局、ムンバイ大学(ボンベイ大学)などがあり、19世紀のイギリス風の景観をつくりだしている。北部ではインド風の建物が狭い道路を挟んで密集し、庶民の活気にあふれている。
 観光名所としては、市内に1911年建立のインドの門、旧ビクトリア庭園、ムンバイ大学構内のラージャバイ塔などがあり、市外では北部にジュフー海岸、南東部の小島にエレファンタ石窟(せっくつ)がある。[福岡義隆]

歴史

もともといくつかの島であったが、1534年、ポルトガルに譲渡され、1661年にはイギリスのチャールズ2世に嫁したポルトガル王女の持参金の一部としてイギリスに譲られた。イギリスは島々の間を埋め立て、さらにインド本土とも橋でつないだ。17世紀末には、イギリスのインド西海岸における通商の中心地がスーラトからボンベイ(現ムンバイ)に移され、それ以後、ボンベイは商業や造船業を中心とする工業の大中心地になった。1818年イギリスがマラータ宰相政府を滅ぼして、西インドを支配するようになると、ボンベイは行政・司法の中心地ともなり、ボンベイを首都とするボンベイ管区が形成された。イギリス支配下にボンベイは19世紀前半、アヘンの中国輸出などの通商で栄えたが、1850年代以降は綿工業のインド最大の中心地となっていった。ボンベイ綿工業はいわゆる民族資本によるもので、パールシーの商人、造船業者などが中心であった。1861年アメリカで南北戦争が起こると綿花価格の大騰貴が起こり、多くの綿工場が破産したが、1870年代以降ふたたび飛躍的な発展を遂げた。ボンベイ綿糸は19世紀末には中国市場を完全に圧するなど輸出面でも大きく発展したが、20世紀に入ると日本綿糸に敗れて国内市場を中心とするようになった。[小谷汪之]

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