古代ギリシア新喜劇の代表的作家。アテネ上流階級の出身で、中期喜劇の作家アレクシスの甥(おい)。哲学者テオフラストスに師事し、またエピクロスとは友人の仲であったといわれる。紀元前321年『怒り』をもって競演の場にデビューして以来、生涯に100編以上書いたが、現存するのは『気むずかし屋』『調停裁判』『髪を切られる女』『サモスの女』の4編で、あとは大断片『先祖の霊』を筆頭にすべて断片である。前記の4編にも欠損部分が多い。
前4世紀は、前5世紀と違い政治よりも哲学・修辞学の時代、また個人の国家からの遊離の時代であった。こうした時代背景をもつメナンドロスの作品は、古喜劇のもっていた強烈な政治性と個人風刺には欠けるが、その反面、日常市民生活の種々の様相を、警句、皮肉、また思いやり、そして一種の諦念(ていねん)すら含んだ筆致で活写し、そこに潜む人生の哀歓を生き生きと描出している。筋立ては、恋の駆け引き、私生児と捨て子の問題、親子兄弟の対面などがおもなもので、そこに狡猾(こうかつ)だが忠実な召使い、利発な遊女、頑固親父(がんこおやじ)、放蕩(ほうとう)息子、尊大な軍人、若妻、恋に悩む若者、純情な乙女などの諸人物が登場し活躍する。その筆の冴(さ)えは、すでに古代において「メナンドロスと人生よ、汝(なんじ)らのうちのどちらがどちらを模写したのか」(ビザンティオンのアリストファネス)との賛辞を博しているほどであるが、しかしその作品は、単に当時の世相の模写にとどまるものではない。それは、随所にみられる詩人の透徹した人生観、人間観によって、単なる風俗喜劇を超えたところに到達しているといいえよう。この点で彼は、ジャンルは異なるとはいえ、悲劇詩人エウリピデスの後継者ともみなされるのである。
[丹下和彦]
『呉茂一訳『気むずかしや他三編』(『ギリシア喜劇全集2』所収・1961・人文書院)』▽『田中美知太郎編『ギリシァ劇集』(1963・新潮社)』
古代ギリシア,アテナイの喜劇作家。アッティカ古喜劇と対比されるアッティカ新喜劇の代表的作家で,喜劇作家アレクシスの甥。彼の喜劇で劇化されるのは,極めて日常的な人間関係,すなわち親と子,男(夫)と女(妻),主人と奴隷,隣人,友人といったものである。アリストファネスらのアッティカ古喜劇が有した破壊的な言語の力,想像力はここには欠如しているが,人々の生活感情の機微を表現することにかけてはめざましいものがあり,アレクサンドリア時代の文芸評論家の〈メナンドロスと人生よ,おまえたちは,どちらがどちらの模倣者なのか〉という評言は有名である。レナイアとディオニュシアの喜劇競演で8回優勝したとされているが,108編と伝えられる彼の喜劇作品数に比すれば意外に少なく,その名声は主として死後のものであったようである。作品そのものは,最近までは,断片と,ローマにおけるメナンドロスの翻案者たるプラウトゥス,テレンティウスの作品とによってうかがい得ただけであったが,20世紀に入る前後から次々と新発見がなされ,《気むずかし屋(デュスコロス)》の大部分と,《調停裁判》《サミア(サモス島から来た女)》《髪を切られる女》の相当部分が回復された。
彼の喜劇は性格造形力にすぐれ(アリストテレスの弟子で,ラ・ブリュイエールの《カラクテール》の原著作者でもあるテオフラストスの教えを受けたとされている),また登場人物の扱いが巧みであり,さらに題材そのものの普遍性も手伝って,後世の演劇芸術に非常に大きな影響を及ぼした。ほとんどはプラウトゥス,テレンティウスの手を経てであるとはいえ,ルネサンスおよび近代のイタリア,フランス,イギリスの喜劇はすべてメナンドロスから出発していると言っても過言ではない。このことは,アリストファネスの作品が近代劇作家たちに与えた影響の不当なほどの小ささを考え合わせる時,芸術の伝承力の問題を考えさせずにはおかない。
執筆者:安西 真
インド・ギリシア人が西北インドに建てた王国の王。在位,前155-前130年ころ。生没年不詳。パンジャーブ地方のシャーカラ(サーガラ,現在のシアールコートとする説が有力)に都を置き,アフガニスタンから北インド中部に至る領土を支配した。この王の発行した貨幣の種類と量は多く,また分布範囲も他のインド・ギリシア人王にくらべてはるかに広い。ギリシア本土では正義をもってインドを支配した大王としても知られていた。一方,仏教徒はこの王をミリンダの名で呼び,はじめ異教の信者であったが,のちにナーガセーナ比丘に教化され仏教に帰依したと伝えている。両者の対話がパーリ語仏典の《ミリンダパンハー》(《ミリンダ王の問い》),漢訳仏典の《那先比丘経》に収められている。
執筆者:山崎 元一
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…同時代人ルキアノスの対話編から材料を得て,模倣も多いが,庶民生活の生き生きとした描出は優れている。遊女の書簡は,新喜劇の作家とくにメナンドロスに関する情報を提供している点で貴重である。【高橋 通男】。…
…前400年以降,アテナイは政情に激変をきたし,喜劇詩人たちは政治批判や個人攻撃には背を向けるが,彼らが古喜劇時代から継承した〈創作の自由〉はなお生き生きと,中喜劇,新喜劇の時代に受け継がれ,新しい形態の演劇活動を生むこととなる。アリストファネスの最晩年の作《福の神》(前388)から新喜劇の作者メナンドロスの初(優勝)作《デュスコロス》(前316)までの約70年間,悲劇の新作は激減し,とみに悲劇は〈古典芸能〉視される運命にあったが,喜劇の分野では(作品は伝存していないが)その時代は,新しい筋立てと登場人物の組合せをめぐる活発な試行錯誤の実験が重ねられ,ついにメナンドロスによる人間喜劇の誕生をみる。その間に,喜劇はかつての構造的中心であった〈パラバシス場面〉を失う。…
…ヘレニズム文明の拡散と同時に,ギリシア文学もおのずと主題と装いを改めていく。アテナイでは前5世紀の悲劇・喜劇は〈古典〉となり遠ざかるが,これらに代わってメナンドロス,フィレモンPhilēmōn,ディフィロスDiphilosらの〈新喜劇〉が新しい時代の先駆となる。ここではかつてのように一都一国の命運を担った英雄や政治家が悲劇・喜劇の中心を占めるわけではない。…
…途中までの漢訳として《那先比丘経(なせんびくきよう)》(訳者不明,2巻本と3巻本の2種)がある。ミリンダ王とは,前2世紀ころ西北インドを支配していたギリシア人の王メナンドロスのことで,王が仏僧ナーガセーナ(那先)と仏教教理に関する問答を重ね,ついに信者になった過程を記している。(1)王とナーガセーナの前世の因縁を記した部分,(2)両者が3日間の対話のすえに師弟となった経緯,(3)ミリンダ王が仏教に関する難問を発し,ナーガセーナが答える部分,(4)修行者の守るべき徳目を比喩によって述べる部分,からなる。…
※「メナンドロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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