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メージャー Major, John

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メージャー
Major, John

[生]1943.3.29. マートン
イギリスの政治家。サーカス団員の子として生れる。建設労働者を経て,銀行に勤務。地方議員を経て 1979年下院議員に当選。サッチャー政権下,87年大蔵担当閣内相,89年外相を歴任。サッチャー首相の辞任後の保守党党首選で当選,首相となる。「サッチャーの息子」と呼ばれるほど思想信条が似ているとされたが,人頭税の廃止や欧州統合の推進などサッチャー路線からの離脱をはかり,92年4月の総選挙で保守党を勝利に導いた。しかし,97年の総選挙では議席半減という歴史的大敗を喫し,18年ぶりに労働党に政権を譲ることとなった。

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デジタル大辞泉の解説

メージャー(John Major)

[1943~ ]英国の政治家。保守党。外相・蔵相を経て、1990年、サッチャーの後任として47歳で首相に就任。学校など公共機関の民営化政策を打ち出した。1997年の総選挙で保守党が惨敗し、首相を辞任。→ブレア

メージャー(major)

メジャー

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百科事典マイペディアの解説

メージャー

英国の政治家。公立のグラマースクール卒。父親はサーカスのブランコ乗り。16歳で仕事に就き,銀行員となる。1979年に保守党の下院議員に初当選。1987年大蔵担当閣内相,1989年7月外相,同年10月蔵相を歴任。1990年11月にサッチャーに代わって党首・首相に就任。人頭税廃止,対EC(現EU)政策の柔軟化などを打ち出し,1992年4月の総選挙に勝利して再任。1996年の地方選,1997年の下院選ともに労働党に大敗し,首相・党首を辞任した。
→関連項目イギリス

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メージャー
めーじゃー
John Major
(1943― )

イギリスの政治家。両親はサーカスの芸人。公立高校卒業。16歳で実社会に出て、建設労働者やバスの運転手などの職を転々とした。22歳のとき、銀行に職を得て頭角を現し、役員にまで昇進した。地方議員を経て、1979年、下院議員に初当選。サッチャー首相の信頼を得て1989年7月に外相、同年10月に財務相に抜擢(ばってき)された。折衝、実務能力に優れ、財務相時代には、予算要求を切りまくる手腕をみせた。サッチャー首相の辞任の後を受けて、1990年11月、46歳で首相となった。自分の才覚でたたきあげてきた苦労人で、「福祉で人を怠け者にする労働党より、自力ではいあがる人を助ける保守党」が主義。欧州連合条約(マーストリヒト条約)への対応のもたつきや、失業率が高く、景気回復も容易に望めない現状のなか、1993年6月の世論調査での支持率は21%に急落し、戦後の歴代首相としての最低記録となった。1995年7月、保守党臨時党首選で再選され、新内閣を組閣したが、1997年5月の総選挙で保守党が惨敗し、首相を辞任。2001年に議員を引退した。1993年(平成5)9月に来日。[編集部]

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