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ヨッフェ Ioffe, Adolf Abramovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヨッフェ
Ioffe, Adolf Abramovich

[生]1883.10.22. シンフィロポル
[没]1927.11.17. モスクワ
ソ連の革命家,外交官。 1902年ロシア社会民主労働党に入党,メンシェビキとして活動。 12年逮捕されシベリア流刑となった。 17年の二月革命後ボルシェビキに入党し,十月革命後外交官として活動。 18年ブレスト=リトフスク講和会議の首席代表となり,22~23年北京で中ソ国交回復交渉にあたり,22年日本と極東共和国 (1920~22年にシベリアに成立した中間的な緩衝国家) との長春会議に参加,23年上海で孫文と共同宣言を発表した (→孫文=ヨッフェ共同宣言 ) 。 L.トロツキー除名の直後,ピストル自殺をとげた。

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百科事典マイペディアの解説

ヨッフェ

ソ連の物理学者。ドイツでレントゲンに学び,1906年帰国,ペトログラード工科大学でカピッツァ,フレンケル,セミョーノフらを教えた。革命後1932年よりレニングラード物理工学研究所長。

ヨッフェ

ソ連の外交官。革命運動で一時シベリア流刑。1917年二月革命後ボリシェビキの幹部。外交的手腕にすぐれ,独露休戦(ブレスト・リトフスク条約)会談首席代表,駐独大使を経て中国に派遣され,1923年孫文らと交渉して第1次国共合作を準備。
→関連項目加藤友三郎内閣

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ヨッフェ Ioffe, Adolf Abramovich

1883-1927 ソ連の外交官。
1883年10月10日生まれ。十月革命に参加後,外交官となり,1922年駐中国大使に就任。翌年,革命後断絶していた日ソ国交の回復交渉のため来日して後藤新平,川上俊彦と会談。1927年11月17日スターリンによるトロツキーの党除名,追放に抗議して自殺した。44歳。ベルリン大卒,チューリヒ大卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ヨッフェ

没年:1927.11.17(1927.11.17)
生年:露暦1883.10.10(1883.10.22)
ロシアの革命家,ソビエトの外交官。クリミアの富裕なユダヤ人商人の家に生まれ,ベルリン大学で医学を,チューリヒ大学で法律を学んだ。1902年ロシア社会民主労働党に加入し,1908年にはトロツキーの新聞『プラウダ』の編集を手伝う。1912年オデッサで逮捕され,シベリア流刑となったが,1917年の2月革命のあと首都に戻り,ペトログラード・ソビエトのメンバーに選ばれる。トロツキー指導下の地区連合派(メジライオンツィ)の一員として,ボルシェヴィキに参加し,10月にはソビエト軍事革命委員会の積極的なメンバーとしてボルシェヴィキの政権獲得に貢献する。12月,ブレスト=リトフスク講和会議のソビエト代表に任命されたが,トロツキーの「戦争でも講和でもなく」の方針を支持する。1922年,ソ連の駐中国大使に任ぜられ,大正12(1923)年後藤新平の招きで日ソ国交回復の目的で来日した。スターリンによるトロツキー追放に抗議する遺書を残してピストル自殺をした。

(外川継男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ヨッフェ【Adol’f Abramovich Ioffe】

1883‐1927
ソ連邦の外交官。クリミア半島シンフェロポリの裕福なユダヤ人商人の子。早くから社会主義運動に参加し,1902年ロシア社会民主労働党に入党した。のちベルリン大学とチューリヒ大学で医学と法学を学んだが,この間もトロツキーらと革命運動をすすめ,17年ボリシェビキ党に加わった。十月革命後は外交に手腕をふるい,ブレスト・リトフスク条約の交渉をはじめ多数の外交交渉を手がけた。23年には日ソ国交回復交渉のために来日した。

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大辞林 第三版の解説

ヨッフェ【Adol'f Abramovich Ioffe】

1883~1927) ソ連の外交官。ブレスト-リトフスク講和会議で代表を務め、孫文と会見し、国共合作に参与するなど、ロシア革命後の外交を担当した。のち、党内抗争の激化から自殺。

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367日誕生日大事典の解説

ヨッフェ

生年月日:1883年10月22日
ソ連の革命家,外交官
1927年没

ヨッフェ

生年月日:1880年10月30日
ソ連邦の物理学者
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のヨッフェの言及

【日ソ基本条約】より

…このころアメリカ石油資本が北樺太油田開発の着手を試みて日本海軍を強く刺激し,また,極東ソ連領漁業もソビエト政府が支配して極東共和国合併以前の漁業条約を無効とするなどの政策を推進した。これらの懸案打開のため,後藤新平は中国にいたソビエト全権代表A.A.ヨッフェを日本に招いて私的会談(後藤=ヨッフェ会談)をもち(1923年3月7日~6月16日),さらにこれを駐ポーランド公使川上俊彦との予備交渉に引きついだ(1923年6月28日~7月31日)。これらの交渉では北樺太問題,尼港事件問題,宣伝禁止問題が論議され,のちの日ソ間交渉の地ならしの役を果たした。…

※「ヨッフェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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